徳川家康に呪いをかけたのは? 老いた剣豪・宮本武蔵の呪詛者探索の旅を描く『孤剣の涯て』

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/5

孤剣の涯て
孤剣の涯て』(木下昌輝/文藝春秋)

 デビュー作『宇喜多の捨て嫁』が直木賞候補になって話題を呼び、以降も意欲的に歴史エンターテインメント作品を発表してきた木下昌輝氏の新刊『孤剣の涯て』(文藝春秋)。物語の舞台は徳川家康が天下を統一し、戦乱の時代が終焉へと向かう変革期。主人公は歳を重ねて「もはや時代にそぐわない」と自覚する剣豪、宮本武蔵だ。

 孤独につつましく暮らしていた武蔵は、自らが創始した円明流を託した最後の弟子、佐野久遠が何者かに殺されたという報を受け、さらなる失意の底に沈む。そこに水野日向守勝成の家老、中川志摩之助が現れて武蔵に奇妙な仕事を依頼する。京の地で「五霊鬼の呪詛」があり、徳川家康に呪いがかけられた。この呪詛者を生け捕りにしてほしいと言うのである。世を捨てると決めていた武蔵はその依頼を一度は断るが、久遠の死と呪詛者の関連がわかり、探索の任を引き受ける。それは久遠の仇を討つためだった。

「五霊鬼の呪詛」は、徳川家を祟り続けた呪いで家康の祖父である清康を呪殺し、家康の嫡男の信康の死にも関わっているとされていた。その呪いの方法は、妖かし刀・村正を用いて人間の生首から眼球をくり抜いて、呪いをかける相手の諱(いみな)を刻み、左右を入れ替えておくというものである。この呪い首の呪詛によって、諱を刻まれた者は2年以内に呪い殺される。呪いを解くには、妖かし刀で呪詛者を殺すほかなく、また妖かし刀を破壊すると破壊した者と呪詛者の九族が死に絶えるという。武蔵がやるべきことは、呪詛者を見つけ出すこと、妖かし刀を取り返すこと、呪詛者を生け捕りにすること、もし呪詛者が死んだときは妖かし刀で殺したことにすること――。

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 時は家康がついに打倒豊臣を決意し、諸大名に大坂城への出陣を命じた直後。呪詛者は十中八九、家康を憎む豊臣方だろうということで、武蔵は志摩之助の息子にして水野家小姓の三木之助と共に大坂城に潜入を果たす。やがて戦が始まり、武蔵も豊臣方の兵にまぎれて戦場へ。そこで遭遇した豪傑が、村正らしき刀を抜いて……。

 時代に取り残された宮本武蔵による呪詛者探索の旅は二転三転、誰が味方で誰が敵なのか、先は見えず、意外な方向へ展開していく。だが、老いてなお鈍ることのない武蔵の緊迫感に溢れた苛烈な剣戟、圧倒的な暴力がもたらす混乱と恐怖を伝える合戦描写も歴史小説らしい大きな読みどころだ。呪詛にまつわる伝説、過去から続く徳川家と五霊鬼の因縁も実におどろおどろしくて、まさにオカルト伝奇ミステリーといった趣がある。しかし、本作で描かれる“呪い”の本質は決してオカルトではない。それは人間の行動と心を縛り、時に世の枠組みにすら作用する巨大でリアルな“力”として描かれる。そして、この呪いの力はさまざまにかたちを変えて現実の社会にも影響を及ぼしているのだ。

 天下を動かす巨大な権力と呪いの下で生きる人々は、抗うこともできずにただ滅び、消えていくことしかできないのだろうか。

滅ぶことが決まっているのに、人は何かを生み出さずにはいられない。滅んだときの哀しみは計り知れないのに、だ。

 万物が流転し、生まれ滅ぶのが世の理。本作はその理に抗おうとする者たちの物語でもある。生滅の苦行、その哀しみから逃れることはできなくても、その先には微かな希望もあるのだ。

文=橋富政彦

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