2019年刊の谷川俊太郎×Noritakeによる絵本『へいわとせんそう』が今注目されるわけ

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/19

へいわとせんそう
へいわとせんそう』(谷川俊太郎:作、Noritake:絵/ブロンズ新社)

 いまこの瞬間も、世界のどこかで戦争は続いていて、誰かが傷ついている――目の前のニュースにばかり気を取られていると、そんな現実をつい忘れてしまうことはないだろうか。今年の初めに始まったウクライナの悲劇も膠着状態が続いており、いまだに解決の兆しはない。自分たちへの暮らしへの影響(さまざまな値上がりなど)は日々気になっても、戦争の当事者たちがいまどんな現実にさらされているのか、開戦当時より注目しなくなったという人もいるかもしれない。

 だが、そうした「無関心」は、さらなる悲劇をよぶ。というか、私たち自身が、戦争を「わたくしごと」として身近に「考える」ことをしていかないと、いつのまにか悲劇にまきこまれてしまう可能性だってある――じゃあ、どうしたらいい? 戦争の悲惨さを過去の経験から知ることは大事な一歩。さらには一人一人が「戦争とは?」と、自分の目線で考えることも忘れてはならないだろう。

 この夏、2019年発行の1冊の絵本が再び注目を集めた。谷川俊太郎さん(作)とイラストレーターNoritakeさん(絵)による『へいわとせんそう』(ブロンズ新社)だ。白い画面にシンプルな黒い線のイラストが印象的な一冊は、フラットに戦争と平和の日常を対比していくというもの。極めてシンプルだが、だからこそ伝わるものがある。おそらく多くの人がこの本を手に取ったのは、この本が「戦争とは?平和とは?」をそれぞれが考える「きっかけ」をくれるものだと、直感したからではないだろうか。そして実際、自分ひとりで、あるいは子どもや友だちと一緒に、それぞれがこの本の余白をうめるように、自分なりの言葉を紡ぎ出したからではないだろうか。

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 絵本は「へいわのボク/せんそうのボク」で始まる。見開きで並ぶ、元気そうな少年(へいわなボク)と膝を抱えてうつむく少年(せんそうのボク)。次第に目線は家族に拡大し「へいわのチチ/せんそうのチチ」へ。お馬さんごっこをしてくれるやさしそうなチチが、隣のページでは銃を構えて走っている姿に。いざ戦争になったら、「自分のパパ」もこうした状況になるかもしれないことに、絵本の主な読者である子どもたちは、ちょっとびっくりするかもしれない。

 そして「へいわのどうぐ/せんそうのどうぐ」「へいわのき/せんそうのき」――戦争によっていつもの風景も変わってしまう。特に「へいわのくも/せんそうのくも」のせんそうのページだけにはビキニ環礁の水爆実験の写真が使われており、思わずドキリとさせられる。そう戦争は物語の世界の話ではなく、実際に起こる可能性のある「現実」なのだ。

 最後に目線は「みかた」と「てき」に。あえて同じ絵で描かれた一連のページは、同じ地球に住む人間どうし、顔だって朝だって赤ちゃんだって本質的に「違いはない」と教えてくれる。当たり前のことなのに、客観性を失えば、誰もが簡単に見失ってしまう。そのことにあらためてハッとさせられる。

 こうやって心を痛めるのに、じゃあ、なんで「戦争」なんてあるんだろう? 「戦争」はなくならないんだろう?――この本をきっかけに、いくつものそんな対話が生まれたのではないだろうか。そしてこの先も、この本は多くの人にそんな対話のきっかけを与え続けてくれるに違いない。

文=荒井理恵

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