『アイアムアヒーロー』の花沢健吾、伝説の初連載作! “逃げ場のない人たち”が仮想現実と現実を行きかう……現代にも通じるアンリアルの世界

マンガ

公開日:2022/11/13

ルサンチマン 新装版
ルサンチマン 新装版』(花沢健吾/小学館)

 幼少期から漫画を読み続けて30年ほど経つが、たまに「時期が違えば連載していたとき以上の大ヒットをしていたはず」と感じる作品に巡り合う。

 漫画を再読して新たな魅力に気づいたり、当時とは異なる感想を抱いたりする。これは大人になった私の楽しみでもあり、もっと多くの人に過去に発表された名作漫画を読んでほしいと願いながら記事を書くことも多い。

 花沢健吾の初連載作『ルサンチマン』(花沢健吾/小学館)もそのひとつだ。花沢と言えば2009年から2017年まで「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載され、大泉洋主演で映画化もされた大ヒット作『アイアムアヒーロー』を思い浮かべる人も多いが、いま振り返ると同誌の初連載で既に頭角を現していた。

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 否定的ではないかたちで仮想現実を描いた本作は、発表後20年近く経った今こそ読みたい名作漫画であり、リアルタイムの連載であれば世代を問わず人気を博していただろう。

 連載は2004年から2005年までだが本作の時代設定は2015年、当時からすると約10年後の近未来である。

 主人公の坂本拓郎(さかもと・たくろう)は、仕事と実家(自宅)を行き来する生活をしていて彼女ができたことがなく、給料で風俗店に通うことが唯一の心の癒しであった。そんな彼に同じような特徴を持つ親友・越後大作(えちご・だいさく)が勧めたのが超リアル美少女ゲーム「ノアズ・アーク」である。迷ったあげく購入した拓郎はゲームの世界で自分を中学生時代の姿に置き換え“月子”という美少女キャラと出会うが、彼女にはなぜかほかに好きな人がいたり、現実世界が見えたりと、ほかのキャラと異なる特性を持っていた。

 やがて本作はラブコメディの範疇を超えていく。拓郎は仮想現実に没頭していき、越後のように現実と仮想現実を置き換えたいと切望する者も出てくる。

 ゼロ年代半ばに仮想現実を扱っていてそれが作者の初連載作ということだけでも驚きだが、本作の大きな特徴は現実をはるかに超えた仮想現実の夢のような世界だ。たとえば現実世界で越後は、拓郎以上にうまくいかない人生を送っている。幼少期に事故で妹を失い、大人になると職場で濡れ衣を着せられて職を失った彼は、乾パンだけを食べて散らかった部屋にひとりで住んでいるが、仮想現実のゲームで生きる希望を見出した。そこで彼は自分を美しい外見に変えラインハルトと名乗って5人の彼女を作っている。

 現実に失望しながらも強く生きようとする人物もいる。現実世界で生きる長尾まりあだ。

 長尾は拓郎と同期で、日々クライアントのクレームに対応して苦労している。ひとりでなんでもできることが災いして恋人をほかの女性に奪われることも多く、仕事でも恋愛でもストレスを抱える人生にいら立っていた。

 しかし彼女は拓郎や越後と違い、仕事で必要とされていて恋愛経験もそれなりにあり、仮想現実、つまりアンリアルがなぜ必要なのか理解できず逃げてるだけだと越後に言うが、彼はこう答える。

我々には現実世界に逃げ場すらなかったんだ。

 必要とされたい。

 これは誰もが当然のように持つ願望である。

 だが「自分は必要とされていない」とひとたび思い込むと「おれはこのまま終わっていくのか」という絶望と向き合うことになる。現実にはその絶望から脱する場所がなかったせいで拓郎も越後も仮想現実が必要になったのだ。

 本作の最大の謎である、月子がほかの美少女キャラと違い現実の世界を見たり嫉妬などマイナスの感情を抱いたりすることの理由を解き明かしながら、物語は最後に大きな命題を読者にぶつける。

 現実の女性との恋愛がかなわず仮想現実の月子に救われた拓郎が、現実の女性に必要とされたとき、月子と現実の彼女、どちらを選ぶのか。

 通常なら現実の彼女だと即断するかもしれない。

 しかし拓郎にとって月子は、自分が生まれてきた意味を教えてくれた存在であり、簡単に突き放すことはできなかった。

 この問いは普遍性がある。

 もしも近未来に仮想現実ができ、そこで自分の理想どおりの人生を送れるとしたら、私たちは仮想現実と現実、どちらを選ぶだろうか。

 作者は仮想現実を否定しない。越後の言うようにそこでしか生きがいを見つけることができない人たちがいるからだ。

 終盤、物語は2030年に飛ぶ。拓郎は、月子は、越後は、長尾はどのような未来を迎えているのだろうか。

 再評価されるべき漫画である。

文=若林理央

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