ふたりのシングルファーザーが同居!? 悩める30代が新たな父親像を模索する『プリテンド・ファーザー』

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/27

プリテンド・ファーザー
プリテンド・ファーザー』(白岩玄/集英社)

 子育てに積極的な父親が増えたとはいえ、育児はまだまだ母親主体。共働きの家庭でも、子どもが急に発熱すれば、看護休暇を取るのはたいてい母親。授業参観やPTAに参加するのもほぼ母親。「男は仕事、女は家庭」という旧弊な価値観は今も社会に根を張っており、小さな子どもを持つ女性が再就職しようとすると面接でハネられるという苦々しい現実もある。

 こうした子育てをめぐる問題を、ふたりのシングルファーザーの視点で見つめたのが『プリテンド・ファーザー』(白岩玄/集英社)。ちなみに『プリテンド』とは、「~のふりをする、偽って主張する」という意味。前作『たてがみを捨てたライオンたち』(集英社)では男らしさの呪縛と向き合ったが、今回は「見せかけの父親」だったふたりが自分らしい父親像を模索する小説になっている。

 大手飲料メーカーの営業部で激務に追われる恭平は、父親の自覚が薄く、育児は妻に任せきり。だが、ある日突然妻を亡くし、シングルファーザーとしてひとり娘を育てることになる。人事部に移り仕事量は減ったものの、4歳の娘・志乃をひとりで育てる自信はない。そんな中、偶然再会したのが高校時代の同級生でシッターをしている章吾だった。章吾もひとりで1歳半の息子・耕太を育てていると知り、恭平は「一緒に住まないか?」と持ちかける。家賃を負担するのは恭平、彼が帰宅するまで志乃の世話をするのは章吾。利害が一致した2組の父子家庭の同居生活が始まるが……?

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 ふたりの父親のうち、多くの人は恭平に既視感を覚えるだろう。娘と一緒に風呂に入りはするけれど、子どもの肌が乾燥していることには気づかない。慌ただしい朝は、食器の片付けもせず出しっぱなし。娘を寝かしつける際、絵本を読むのを面倒くさいと思ってしまう。そのうえ、章吾たちと外出する際、ゲイのカップルだと思われているんじゃないかと人目を気にする始末。子育ての当事者にもかかわらず「家事・育児は俺がやるべきことじゃない」と考えているのが透けて見え、「そういうとこやぞ!」と顔面に指を突き付けたくなる。

 一方、章吾は長年にわたる保育士経験があるため、子育てにもそつがない。子どもが触ったら危なそうなものは素早く片付け、子どもたちの変化にもすぐに気づく。恭平やシッター先の母親の悩みや愚痴も聞き、すきま時間には作りおきのおかずをパパッと調理するというシッターのプロフェッショナルだ。だが、そんな彼も家庭環境について悩みを抱えている。海外で暮らす耕太の母親のこと、家父長制にとらわれた父親への反発、そんな父の介護、恭平親子との関係。恭平に比べると先進的な考え方を持っているようだが、章吾には章吾の葛藤がある。

 そんなふたりが、それぞれの父親像を手探りで形作る過程を、著者である白岩さんは解像度高く描き出していく。ケア労働によって、キャリアを諦めざるを得ない現状。「母親は子どもの側にいるべき」という外圧。いちいち言葉にするほどではないものの、徐々に蓄積していく育児の負荷。こうした問題を精細に描いているからこそ、「この著者はちゃんと家事・育児をしてきた人なんだ。だからここまで踏みこんで書けるんだ」という説得力も生まれている。だが一方で、そこには「へぇ、イクメンなんですね。でも、うわべだけじゃないですよね、育児に深く関わっているんですよね?」と白岩さんを値踏みする視線があるのも事実だ。こうした女性のまなざし、「父親は子育てに無関心」という思い込み、「このレベルを満たさなければ家事・育児をしているとは言えない」という厳しいジャッジも、男性を育児から弾きだす一因かもしれない。ふとそんな思いが頭をよぎり、ハッとさせられた。

 子育てをめぐる社会課題は、まだまだ山積している。それでも私たち大人には、未来のために「子どもが大人から歓迎される社会」を作る義務がある。誰も踏みつけることなく生きるには、どうすればいいのか。次世代がもっと子育てしやすくなるには、どうやって道を作るべきか。結局のところ「親になる」ってどういうことか。人によって、導き出す答えは違うだろう。それでも考え続け、変革を起こすことが大事なのだと気づかせてくれる1冊だ。

文=野本由起

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