はっぴいえんどからcero、tofubeats。「リスナー型ミュージシャン」が牽引した日本の音楽を考察

文芸・カルチャー

更新日:2023/2/14

ニッポンの音楽(増補・決定版)
ニッポンの音楽(増補・決定版)』(佐々木敦/扶桑社)

 文学、映画、演劇、美術など、複数のジャンルを貫通する批評を実践してきた佐々木敦氏。音楽に関する著作もあまたある彼が、2014年に上梓したのが『ニッポンの音楽』(講談社)だ。そしてこの度、同書に、2014年以降の音楽シーンを概略するボーナストラックを加えたのが『ニッポンの音楽(増補・決定版)』(扶桑社)である。増補こそあるものの、日本のポップ・ミュージックをひとつの「物語」として描く筆さばきは不変である。

「物語」というからには当然、登場人物が必要となる。はっぴいえんどの物語、YMOの物語、渋谷系と小室系の物語、中田ヤスタカの物語と、章ごとに時代を象徴する音楽家を挙げ、その特性が論じられている。むろん、この人選には著者なりの意図がある。彼らに共通するのは「リスナー型ミュージシャン」である、というのが佐々木氏の見立てである。

 はじめて日本語とロックの融合を成し遂げたとされるはっぴいえんどから、リアルタイムでの洋楽の輸入とシンクロした「渋谷系」に至るまで。各々の音楽シーンを牽引してきたのは、受け手体質のマニアックな音楽通であり、その源泉には海外の音楽からの影響があった。

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 ここでひとつ管見を。先述の「リスナー型ミュージシャン」の走りは、はっぴいえんどやその周辺の人脈だったわけだが、彼らが台頭してきたのは、裕福な家庭に生まれ育ったことも大きいと思う。彼らは慶應や立教や青山学院などの大学に通う、いわゆる育ちの良い学生だった。

 バンド・メンバーの自宅に練習するためのスペースや機材があった。まだ高価だった海外製の楽器を持っていた。レアで高価なレコードを買う余裕があった。そうした条件が整っていなければ生まれなかったのが、初期「リスナー型ミュージシャン」ではないだろうか。

 以前、ユーミンの半生を辿った『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス)の書評でも触れたが、荒井由実氏(のちの松任谷由実氏)は、幼い頃から横田米軍基地に出入りし、都心のレコード店でも入手できない貴重なアナログ盤を渉猟。中学生の頃には100枚以上のアルバムを所有するコレクターになっていたそうだ。なお、荒井氏は八王子にある老舗の呉服店の令嬢。6歳でピアノ、11歳で三味線を習ったという。巷間言われるところの「文化資本」に恵まれていたのは間違いない。

 ここからは増補されたボーナストラックについて。2014年に出た『ニッポンの音楽』では、「リスナー型ミュージシャン」が中田ヤスタカの物語で終わっている。だが、その先を見据えると、なかなかひとりに絞れないのが現実だ。著者はtofubeatsやceroなどをこの系譜に連ねているが、かつての渋谷系や小室系に比べると、大きなムーヴメントになっているとは言い難い。

 また、もともとニッポンの音楽は、「外」を「内」に取り込むことで生じる変容がベースにあった、という佐々木氏の指摘は正鵠を得ている。ここで言う「外」と「内」は、ざっくり言うと洋楽と邦楽のこと。「内」に留まりながら、他国の音楽=「外」から滋養を吸収するという類例としては、とりたてて珍しいことではない。遡れば、戦後のリズム歌謡がサンバやマンボのビートを次々に導入したのもその一例だ。あるいは、昭和には、米国産のジャズと歌謡曲が地続きだった時代もある。

 つまり、ある時代までのニッポンの音楽は、内は内で閉じてしまうのではなく、「外」からの引用や参照によって成り立ってきた、ということだ。そして、ボーナストラックで著者の意見は明瞭である。著者は、昨今の音楽は「外」を「内」にとりこむ機会が減り、「内」だけで循環する世界になりつつあると述べる。いわゆる「ガラパゴス化」というやつだ。

 やや悲観的なトーンで終わる本書だが、例えば、昨今のシティ・ポップ・ブームの再評価などを見ると、「内」にあったものが「外」に波紋を広げ、その「外」から逆輸入される形で「内」が活性化している。そう言えるだろう。これを、良質な音楽の理想的なリサイクルと捉えると、なすべきことがクリアになってくるのではないか。つまり、 「外」と「中」の間の風通しをよくし、どちらにもリーチできるミュージシャンが増えること。それこそが、今、切実に求められているように思う。

文=土佐有明

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