綿矢りさ節炸裂! コロナ禍の“明るすぎる人間の闇”に迫る痛快短編集『嫌いなら呼ぶなよ』

文芸・カルチャー

公開日:2023/3/28

嫌いなら呼ぶなよ
嫌いなら呼ぶなよ』(綿矢りさ/河出書房新社)

 コロナ禍という異質な時間は、私たちの脳みそを確実に狂わせたと思う。未知のウイルスに怯え、他人との接触を避け、家の中に引きこもった人はもちろんのこと、「コロナなんて怖くない」と以前と変わらぬはずの生活を送ってきた人も、その人の中で何かが壊れた。周囲を見渡すと、コロナ禍前よりも面倒な人間が増えてしまったように感じるのは決して気のせいではないだろう。

 コロナ禍が生み出した心の闇、それも“明るすぎる闇“に切り込むのが、『嫌いなら呼ぶなよ』(綿矢りさ/河出書房新社)だ。4編の短編に登場するのは、かなり厄介な人たち。美容外科通いがやめられない整形女子、素人YouTuberを好きすぎるあまりアンチ化する粘着ファン、不倫男とその男を断罪するサレ妻の親友たち、決して非を認めない作家とフリーライターと編集者……。現実社会では絶対に関わりたくはないが、その脳内がどうなっているかはちょっぴり気になる。そんなクセの強い人たちの危ない思考回路を、芥川賞作家・綿矢りさは毒々しくも、ポップに、軽妙な語り口で描き出していく。

 たとえば、表題作「嫌いなら呼ぶなよ」の主人公は、20代後半の既婚男性・霜月だ。彼は妻の親友夫婦のホームパーティーに招待されたが、そこで始まったのは、霜月の不倫を巡るミニ裁判。霜月は、「今日こそはきっちり白状してもらうからね」といきなりその親友から問い詰められてしまう。妻から責められるなら分かるが、なぜ赤の他人が当事者のように振る舞うのか。女同士のこういう謎の結束には既視感はあるが、どう考えてもやりすぎではあるだろう。

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たださ、君たち関係なくない?
権利があるからって、普通、寄ってたかって行使するか?
一応、暴力だろ。石でも言葉でも嫌悪でも。

 そんな霜月の言葉は間違ってはいないのだが、妻やその親友たち以上にクレイジーなのが霜月本人なのだ。霜月は超がつくほどのナルシスト。口先では謝りながらも、心の中では、自分がかっこいいのだから不倫は仕方がないと思っている。周りからいじめられて憂いを帯びた自分に思わずうっとり。そんな図太い不倫男の姿には、心底呆れさせられ、そして、恐ろしささえ感じさせられるだろう。

「老は害で若も輩」では、さらに迷惑な、自己愛をこじらせた人たちが登場する。主人公は、半グレ経験のある26歳の男性編集者・内田。ある時、雑誌掲載予定のインタビュー記事の内容について、37歳の女性作家「綿矢りさ」と、42歳の女性ライター「シャトル蘭」が、内田をccに入れたメールのやりとりでバトルを繰り広げてしまう。

(ライター・シャトル蘭)
「ほとんど全文を書き換えられていますね。こちらのプライドが許さないところもあります」

(作家・綿矢りさ
「片腹痛いです。記事を直しただけでこんだけゴネるなんて、正直びっくりです。それで私をやっつけた気になってるのなら、片腹どころか両腹痛いです。笑ろてまいます。とにかく私の指示通りに原稿を直してください。現在あなたに必要な役目はそれだけです」
「一応現時点では芥川賞最年少作家といえばこの私なんですけど?!」

 内田は、作家とライターのやりとり、互いに「相手のせいで傷ついた」とアピールしてくる「繊細ヤクザ」っぷりに呆れ返っている。さっさとどちらかが諦めてくれないと締め切りに間に合わない。仕事を穏便に済ませるために、言いたいことをグッと堪えて、事態を収めようとするが、かえってそれが仇となり、彼女たちの怒りの矛先は次第に内田に向き始め……。「老害作家」を自身の名前にしてしまう綿矢りさのセンスにあっぱれ。ああ、その後の展開もなんて愉快なことか。決して当事者にはなりたくない。しかし、この三つ巴のバトルをどうして笑わずにいられようか。

 どの短編もリアル。突拍子のない、狂気じみた思考に「うわああ、こういう人いるいる…」と苦笑させられたり、「まずい、共感できてしまうぞ?!」と妙に焦らされたり。脳内だからこそ、恥も外聞もなく、本音はダダ漏れ。だからこそ、どんなに厄介な人間が登場し、その毒気に当てられそうになっても、欲望に素直すぎるその姿に、読後、不思議な清々しさを感じる。

 あなたも綿矢りさ節炸裂のこの短編集を手にとってみてはいかがだろうか。とにかく痛快。この本はきっと、あなたの心の中に渦巻く鬱屈を吹き飛ばしてくれるに違いないだろう。

文=アサトーミナミ

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