子どもの10人に1人は発達障害。障害当事者の児童精神科医が親子と向き合う『リエゾン―こどものこころ診療所―』

マンガ

公開日:2023/7/10

リエゾン―こどものこころ診療所―
リエゾン―こどものこころ診療所―』(竹村優作:原作、ヨンチャン:原作・画/講談社)

「普通じゃくくれない大変さがあることを…私たちはただ知ってほしかったんです」
『リエゾン―こどものこころ診療所―』2巻#15 カミングアウトより引用

 親であれ仕事であれ、子どもと少しでも関わる人は、身近にいる子どもの発達が定型発達かグレーゾーンかを一度は考えたことがあるだろう。それくらい、昨今は障害に関する話題を避けて生きることは難しくなった。しかし、身近になった割にはどこか違う世界の話のようで、輪郭が曖昧なこともまた事実だ。

 家庭の問題抜きには語れない“子ども”が直面しているお困り事は、必ずしも障害が原因となっているわけではないが、障害を切り口に見てみると解像度が上がるような気がする。だからこそ、子どもの発達や、子どもとの関係に悩んだら“児童精神科医”を描く『リエゾン―こどものこころ診療所―』(竹村優作:原作、ヨンチャン:原作・画/講談社・モーニングで連載中)を是非、手に取ってみてほしい。

 突然だが、私は障害福祉事業所で働く支援員だ。仕事で障害がある人たちと働くようになって1年ほど。この仕事に就く以前の私は「障害」に付随している個性は、捉えようによっては全て受け入れられるものだと思っていたが、それは全くの勘違いだったと思う。必ずしも、共感できたり、肯定的に受け入れられたりするものではない、それが「障害」なのだと今は思っている。

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「障害」は確かにそこに“ある”が、認識できるとは限らない

 本作には2人の主人公が登場する。自閉スペクトラム症(ASD)の子どもだった佐山卓と、佐山のクリニックに研修医としてやってきた遠野志保。遠野は研修医になってから発達障害(ADHD)であることが分かった。2人とも児童精神科医でありながら障害当事者だ。医者になれている彼らを見て、読者は「周囲への影響が少ないタイプの軽い障害」だと思うかもしれない。その主観的評価こそ、障害を見る時の間違いの元なのだ。

 他人が障害があることを適正に評価したり、主観的な物差しで測るのではなく客観的に把握したり、ましてや何に生きづらさを感じているのかを想像することは難しい。キャラクターを通して描かれる障害当事者が感じている生きづらさは、どこまでいっても本人にしか分からないもので、他人が理解できることではないのだと思う。作者が2人の主人公を障害当事者にしたのは、障害の語り部として、当事者が感じている生きづらさにリアリティと説得力を求めた結果なのかもしれない。

精神障害との付き合い方

“個性的”という言葉は、長所と捉えられることが多いように思う。しかし、それは上手に表現できない障害による個性や特性を表す際の曖昧な言葉として使われることも少なくない。

 精神障害や内部障害といった目に見えない障害は、同じ診断が下りていたとしても症状や特性としてどう出るかは個人差が大きい。時には、全く理解も共感もできない特性が出てしまった人もいる。成長に伴ってよくなる場合もあれば、状況によっては悪化することもある。

 作中では、当事者に関わる人もまたキーパーソンとして描かれている。

「“分からない”を自覚して受け入れることが、理解の第一歩です」1巻#4 金の卵より引用

 障害があることを当事者が認識し、なぜ特性が強く出てしまっているかを論理的に理解することは、状況の打開の第一歩だ。治るものではない障害を受け入れて、どう関わればいいのか、何をすることがこれからの助けになるのかを医者と患者が一緒に考える。特性への関わり方を工夫することで、障害による特性を和らげ、生きやすくするヒントを当事者自身が見つけることを後押ししている。

 医者と患者が関われる時間は、生活の中ではほんのわずかな時間しかない。薬の処方やカウンセリングだけでは根本的な問題に触れるにはあまりにも時間が少ない。そんな精神科の現状も垣間見えつつ、現代社会における精神障害との向き合い方の難しさを感じずにはいられない。

病気や障害があることを不幸にしない

 子どもの10人に一人は、何らかの障害を抱えているとされている現代。あなたの身の回りの知人で障害者だと知った上で交流のある人や、日々薬や治療が欠かせない生活をしている人をどれだけ認識できているだろうか? 意外と少ないように感じないだろうか?

 障害だけでなく、不治の病と付き合いながら生きている人は意外と多い。多いからこそ、障害があることや病気に罹患したことで、関わる人が不幸になってしまうのはあまりにも悲しいし、辛い。この作品は、どうしようもない現実に押しつぶされそうになっている当事者とその家族が、医療機関をはじめとする社会資源に繋がり、支援の手が差し伸べられることによって、ほんの少し今までよりは状況がよくなっていくだろうという希望が垣間見える作品となっている。

 障害当事者だけでなく、ケアする親や家族も大変な思いをしている。ましてや未来ある子どもに焦点を当てると、時間の長さや大人になるまでの成長や自立を考えずにはいられない。長い人生の中で、機能低下も含めると障害は誰でもいつかは抱える身近なものだ。

 他人事を自分事にすることで見える世界が変わってくる。誰もが生きやすい世界はきっと今のあなたにも生きやすいはずだから。

文=ネゴト / そふえ

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