いじめから救うふりをしてセクハラを強要!? 人生に迷える人たちの背中を押す“おばあちゃん”の忘れがたい言葉とは

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/17

あなたはここにいなくとも
あなたはここにいなくとも』(町田そのこ/新潮社)

『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこ氏が、2023年2月、新たな短編小説『あなたはここにいなくとも』(新潮社)を上梓した。全5話からなる本作は、人生において“迷子になっている”主人公たちが、人との別れや出会いを通して「本当の自分」を取り戻す物語である。

 本書の主人公たちは、家族、恋人、会社の上下関係など、様々な人間関係に悩み、自己嫌悪に苛まれる日々を過ごしている。その姿は、決して「格好いい」とは言えない。しかし、そんな等身大の姿が描かれているからこそ、読者の心にすんなりと届く想いがある。

 第2話に収録された「ばばあのマーチ」が、個人的には深く心に残っている。主人公の香子は、新卒で入社した会社で酷いいじめに遭った。挙句、そのいじめを心配する素振りを見せて近づいてきた上司にセクハラを受け、事態は悪化の一途をたどる。結果的に辞職を余儀なくされた香子に対し、セクハラをした上司は、追い討ちとも言える非道な言葉を投げつけた。その台詞の悪辣さに、読みながら腑が煮える思いだった。

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“『君は“被害者”のつもりだろうが、職場の雰囲気を悪くしていた“加害者”だよ。勘違いするんじゃないよ』”

 私自身、これまでの人生において様々な被害に遭ってきた。その際、加害者側が非を認めて謝ってくれたケースはほとんどない。仮に謝ってくれたとしても、謝罪の言葉以上に、言い訳や逆切れの言葉が混じっていたりする。

 いじめや差別、性被害、職場でのパワハラなど、世の中には理不尽があふれている。だが、理不尽な痛みを背負わされた側が声を上げた途端、加害者側が「自分こそが被害者だ」という顔をする場合も少なくない。そんな現実を見せつけられるたび、心が引き裂かれる。「痛かった」と言うことさえ許されない。では一体、どうすればよかったというのか。そう問いかけようにも、加害者の多くは黙殺で逃げる。結果、被害者の心は行く宛を失い、迷子のように彷徨い続ける。

 本書に登場する香子も、大きな挫折を経て、まさしく「迷子」の状態に陥っていた。退職後、香子は工場の仕事をはじめた。人間関係に疲れきっていた香子にとって、他者とのコミュニケーションを必要としない新たな職場は、居心地の悪いものではなかった。しかし、交際相手である浩明に、「その仕事には未来がない」と転職を強いられる。香子が「自分には合っている」と伝えても、浩明はその言葉に耳を貸さず、「そんなところで立ち止まることをぼくは認めない」とまで言い放つ。浩明からのプレッシャーにじわじわと心を圧迫される香子だったが、「自分が不甲斐ないせいだ」と己を責め抜き、自己嫌悪の沼へとハマっていく。

 そんな最中、近所に住む老婆が奏でる「定期コンサート」を見かけ、香子は思わず足を止める。この老婆は一風変わっており、楽器ではなく、ありふれた食器で音を奏でていた。器やグラスを打ち鳴らし、割れたものには慈しみを込めて別れを告げる。その行動の意味を香子は図りかねていたのだが、かつて近所に住んでいた友人が愛用していたタンブラーがそこに並んでいるのに気づき、衝動的に老婆に声をかける。

 老婆が奏でる「定期コンサート」の意味、友人のタンブラーがそこにあった理由、香子自身の心のゆくえ。それらが物語後半で絡み合い、一つひとつがほどけていく過程は、読み手の心までをも優しく解きほぐしていく。

 本書には、他にも魅力的な「おばあちゃん」が多数登場する。彼女たちが残した言葉は、“今”に迷いを抱えて生きる人たちの心をふんわりと包んでくれる。

 今、ここにはいない人。でも、ずっと心の奥深くにいる人。そういう人の言葉や存在は、“人生の迷子”になっている最中にも、大きな支えとなってくれる。本書を読みながら、今は亡き祖母のことを想った。彼女が遺してくれた言葉は、私の中で今も生きている。それと同じように、本書の「おばあちゃん」たちが語り継いだ言葉もまた、私の中で深く長く生き続けるだろう。

文=碧月はる

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