金で買われた少年と、彼を買った少年は「友人契約」を結ぶ――奇妙な関係で結ばれた少年たちの透明な青春物語

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/24

君が死にたかった日に、僕は君を買うことにした
君が死にたかった日に、僕は君を買うことにした(メディアワークス文庫)』(成東志樹/KADOKAWA)

「金は現代の神である」とは、精神分析学者・岸田秀氏の言葉だ。

 金が大きな価値を持つ現代社会では、金を持たないものは、資本主義以前の社会で言うところの、神に見捨てられたようなものだ。

 本作『君が死にたかった日に、僕は君を買うことにした(メディアワークス文庫)』(成東志樹/KADOKAWA)の主人公・坂田史宏はそんな、“神”に見棄てられた(この社会にたくさんいる青少年のうちの)ひとりだ。母は病死、父は蒸発。貧困のただなかで生きる17歳の彼の前に、同い年の少年・香月があらわれ、こんな申し出をする。

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「買わせてくれない? 君の時間を、月二十万円で」

 友人がいないという香月は、史宏に3つの条件を出す。「毎日高校へ通う」「同じ大学に合格する」「そして友だちとして振る舞う」。母の葬儀代を得たい思いから史宏はその申し出を受け入れ、以降、友だち同士として行動を共にする。

 史宏が金に見棄てられた少年であるのとは対極的に、香月は金に愛されている少年だ。裕福な家に生まれ、優しい家族に囲まれ、あたたかな環境で大切に育てられてきた。

 そんな彼が、なぜ自分のような何も持たない人間を買いたいというのか。この契約には裏があるのか。ほぼ無条件に与えられる恵まれた環境に居心地の悪さを覚え、しかし次第にその環境にも慣れながら、史宏は香月との距離を縮めていく。

 第29回電撃小説大賞で《選考委員奨励賞》を受賞した本作に、選考委員の三上延氏は主人公の境遇を「愛人契約のメタファー」と評した。まさに史宏と香月のそれは金銭によって結ばれた関係だ。愛人契約ならぬ、友人契約である。そこに、この物語のテーマの1つが浮かんでくる。

「愛は金で買えるのか?」もしくは「金の介在する人間関係はニセモノなのか?」

 金がなければ生きていけない社会で生きている私たちにとって、これほど答えの出ない問いはない。毎月しっかりと20万円をうけとる史弘も、20万円を払って史弘をつなぎとめている香月も、それぞれに「金で結ばれた関係」について煩悶する。

 金が人間関係に及ぼす影響の強さを、作者はこれでもか、というぐらいに細部にまで描き出す。

 史宏の家庭は金がないために破壊された。親から暴力を受けている友人、豊田の家庭環境もそうだ。彼らは人間同士の関係は――たとえそれが血のつながった者同士であるとしても――金によってたやすく壊されてしまうことを、身を以て知っている。

 したがって、香月への親愛感が自分のなかでどんどん増していくことに、史宏は悩む。悩むことで史宏の世界は深まり、豊かになる。

 この「友人契約」に込められた香月の想いが明らかになる終盤からラストにかけての展開は、緊張感に充ちている。香月と出会って5年、ここで史宏は自分なりの愛のかたちを見つける。愛の可能性と限界、愛の優しさと残酷さの両方も。

 これは金に見棄てられた少年が、愛を獲得していくオデッセイ(冒険旅行)であると思う。見棄てられた者だからこそ、守られている者たちには到達できない境地へ至っている点まで含め、どこか寓話的で、聖性すらも感じさせる。

文=皆川ちか

◆『君が死にたかった日に、僕は君を買うことにした』紹介ページ
https://mwbunko.com/special/kimiboku/

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