直木賞・山本周五郎賞W受賞の話題作! 現代の銀座が舞台、女のフリをして父親のかたきの首を取った「仇討ち」の真実とは?

文芸・カルチャー

更新日:2023/9/27

木挽町のあだ討ち
木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子/新潮社)

木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子/新潮社)はタイトルの通り、主人公・菊之助の仇討ちをテーマにした作品であり、第169回直木賞受賞作品のひとつだ。山本周五郎賞も受賞しているので、W受賞ということになる。

 木挽町とは、東京都中央区銀座、現在歌舞伎座がある場所付近の旧地名。今は東銀座駅直通「木挽町広場」にその名前が残る。歌舞伎好きの私にはおなじみの場所であり、そこのタリーズコーヒーにしょっちゅう居座っている。

 武士の菊之助は、父親のかたきを取るため、江戸にやってきて、雪の降る日に見事仇討ちを果たした。その後日談から話は始まる。

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 女のフリをして、赤い振り袖を着てかたきを待つ菊之助。それにやくざな博打打ちが歩み寄り声をかける。その男こそ、父親のかたき。赤い振り袖を投げつけて白装束となった菊之助は、真剣で勝負に挑む。芝居の大詰めさながらにかたきの首級(しるし=首のこと)を掲げた――。菊之助の仇討ちはすでに話題になり、街の人々に芝居のあらすじの如く語られている。

 物語は、菊之助が身を寄せた芝居小屋の人々の語りで進んでいく。まるで芝居のような、ドラマティックな仇討ち。その裏には、思いがけない真実が隠されていて……。

江戸の人々が目の前に現れるような軽妙な語り口

 時代劇はとっつきにくいと思われがちであるが、この小説は時代小説の名手である作者の、当時の人々が喋っているような、テンポよくなめらかな文体が心地良い。

 また、当時の芝居小屋が江戸の治世にとってどういう存在だったのか、かつて「河原乞食」とも呼ばれた役者、周りの人々がどのように過ごしていたのか。まだ人権が存在しなかった時代の、人々の暮らしぶりが感じられるのも興味深い。芸の世界がどんなものか。それこそ、芝居小屋をのぞき見したような気分になる。

 木挽町の芝居小屋に集まった登場人物はそれぞれ、生まれも育ちもばらばらであり、性格も考え方も何もかもが違う。そんな人々は、興行を成功させるため、日々共に生業(仕事)をしている。彼らがふとこぼす、印象的な言葉が、今を生きる我々にすっと刺さるのだ。

 私が特に印象に残ったのが、「第三部 衣装部屋の場」に登場する二代目芳澤ほたる、そして「第五部 枡席の場」に登場する劇作家・五瓶の言葉である。

 俗世の恋とか、そういうもんじゃないんだよ。ただただ手を合わせ、崇めるような心得さ。
 私は初代芳澤ほたるという人に心底惚れていたし、今も尚惚れているんだと思うよ。

 歌舞伎俳優には名跡という仕組みがあり、團十郎や菊五郎など、代々その名前が引き継がれている。浮世絵に出てくる役者の名前と、ドラマに出ている俳優の名前が同じで戸惑ったことはないだろうか?

 基本的に、名前を持つ・襲う(引き継ぐ)のは舞台に出る役者のみである。「二代目」を名乗っていながら、舞台に立たず衣装部屋にいるほたる。なぜ二代目ほたるを名乗るのか、その理由が明かされる場での言葉だ。初代ほたるが亡くなって、20年が経つという。それなのに二代目ほたるの中に強く焼き付いている、美しい思いに胸を打たれる。

「枡席の場」では、戯作者(今で言うシナリオを書く作家)で元武士の篠田金治が仇討ちについて語る。ちなみに枡席とは、大相撲同様、客席のことである。

 元々は旗本の次男坊で、家は継がないものの、何不自由なく恵まれた暮らし。お金持ちの娘との婚約も決まっていて、ふらふらと遊び歩いていた。金治はその空しさを、花街(花魁のいる遊び場)で出会った大坂の男・五瓶に吐露する。五瓶は金治に「面白がる」という提案を投げかけ、さらに「面白がるにも覚悟がいる」と続ける。

「面白がる覚悟かい」
「そうですねん。面白がらせてもらおうったって、そいつは拗ねてる童と一緒や。でんでん太鼓を鳴らせるようになったら、そこから先の退屈は手前のせいでっせ」

 鮮やかで飄々とした戯作者・五瓶の言葉が、金治の胸を突く。その後、金治は五瓶を追いかけ、大坂へ旅立ち弟子入りを志願する。生き方をがらりと変え、同業者になったのである。そしてこの金治との出会いが菊之助にどういう影響をもたらすのか……読んでのお楽しみである。

歌舞伎を知らなくても楽しめ、歌舞伎好きはほくそ笑む

 登場人物は基本的には架空の人々だが、登場する歌舞伎役者は少し趣が違う。歌舞伎好きにとって、團十郎、男女蔵など、なじみの俳優の名前がちょこちょこ挟まれる。

 さらに『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)をはじめ、歌舞伎の演目もさまざまな形で登場し、時には演目が「あだ討ち」の謎を解く鍵にもなっている。そもそも仇討ちを成し遂げる主人公の名自体が菊之助。現代でも活躍する同名の歌舞伎俳優がふとよぎる人も多いだろう。

 歌舞伎を知らなくても全く問題ないが、歌舞伎好きはほくそ笑むしかけがたくさんあり、その意味でも二重に楽しかった。

木挽町の仇討ちの真実を見抜けるか

 あだっぽい(婀娜っぽい)という単語がある。たおやかで、美しいという意味を持つ。最終章で、あだ討ちの隠された真実が明かされる。このクライマックスには「あだっぽい」も非常に似合うと思った。

 これ以上説明するのは野暮天の所業だ。『木挽町のあだ討ち』、あなた自身の手で幕を上げてみてほしい。

文=宇野なおみ

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