〈シャネルのバッグでいつか撲(ぶ)ちたい〉の深い意味。女性の社会進出、不安などを36人の女性が歌う「労働の短歌」アンソロジー

文芸・カルチャー

更新日:2023/10/30

うたわない女はいない
うたわない女はいない 働く三十六歌仙』(働く三十六歌仙/中央公論新社)

食っていけるの? そう笑ってた人たちをシャネルのバックでいつか撲ちたい(野口あや子/歌人)

 この歌に詠まれている「シャネルのバッグ」には、ショルダーバッグ「マトラッセ」が似合う。ココ・シャネルが打ち出したスタイルが、女性の社会進出を後押ししたのは多くの人が知ることだ。そのシャネルを代表するバッグで「ほら、食っていけるじゃないか!」と撲ちにいく。どんな仕事であっても、そして女性であっても、負けはしないという怒りと自身の未来への希望が感じられる。

うたわない女はいない 働く三十六歌仙』(中央公論新社)は、36人の女性の「労働の短歌」のアンソロジーである。「働くを考える」「女が働く現場から」「だいじょうぶじゃないとき」「不器用なままで」の四章に分け、様々な職業の作者による短歌の連作と散文が編まれている。四首挙げてみよう。

顔ひとつつけかえるよう冷え切った白衣にしんと袖をとおして(塚田千束/歌人・医師)

四時間の会議を終えたパソコンが体液のごとまだあたたかい(上坂あゆ美/歌人・エッセイスト)

女はロボット おまえもロボット 封筒に戻して白い火をつけました(北山あさひ/歌人・テレビ番組制作スタッフ)

いつもやたらと空腹になる外来の崩さずに噛むカロリーメイト(田丸まひる/歌人・精神科医)

 これら労働の短歌においては、作者の背景が明らかになると作品に奥行きが出るように思われる。労働の短歌は「プロレタリア短歌」と呼ばれる。賃金労働者が作った歌のことで、短歌雑誌『短歌戦線』が創刊されたのは1928年(昭和3年)。プロレタリア歌人たちの活動が最も華々しかったのは1929年(昭和4年)からの1年間で、1932年にプロレタリア歌人同盟は解散している。早期解散の理由はいくつかあるが、国家からの圧力がその一因であったという。『コレクション日本歌人選079 プロレタリア短歌』(松澤俊二/笠間書院)から、三首引く。

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〈せめて税金を楽に出したいとばかりに又末つ娘を工場に取られる(中積芳郎/詳細不明)〉

〈裏小路のゴミ溜にきて何かあさる痩せ犬の目が人間らしかつた(並木凡平/歌人・新聞記者)〉

〈がらんとした湯槽の中にクビになつたばかりの首、お前とおれの首が浮かんでゐる、笑ひごつちやないぜお前(坪野哲久/歌人・ガス会社勤務)〉

 もちろん、昭和恐慌や「娘の身売り」「欠食児童」といった貧困が社会問題になっていた『プロレタリア短歌』と、令和の『うたわない女はいない』では時代が違う。しかし、1985年に男女雇用機会均等法が成立してなお進まない女性の社会進出や、増え続ける税金、不安定な労働環境、我々にまとわりつく不安や疲れは変わらない。けれど、我々は各々の立っている場所で、各々の思いを詩歌にして残すことができる。女性であっても、男性であっても。恋愛や自然を詠み世界を美化することだけが短歌の役目ではないのだ。

文=高松霞

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