岡田将生や松坂桃李らで映画化『ゆとりですがなにか』。「ゆとり世代」と呼ばれてモヤっとする人々の苦悩を描き共感の嵐

文芸・カルチャー

更新日:2023/10/30

ゆとりですがなにか
ゆとりですがなにか』(宮藤官九郎/KADOKAWA)

 1987年~2004年に生まれた若者を指す言葉「ゆとり世代」。「ゆるい教育を受けてきた、社会の厳しさに耐えられない世代」と揶揄されがちで、決して好印象ではないこの言葉を僕は何度も聞いてきた。年齢を聞かれるとほぼかならず言われる「あー、ゆとり世代ね!」は、もはや常套句だ。しかし、ときどき疑問に思うことがある。僕も含め、ゆとり教育が全面的に開始された2002年に中学生または小学校高学年だった人たちは、本当にゆとり世代に入るのだろうか……。同じように思う同世代も多いのではないだろうか?

ゆとりですがなにか』(宮藤官九郎/KADOKAWA)は、そんな僕ら「ゆとり第一世代」のモヤモヤを如実に描いてくれている作品。2016年には、岡田将生・松坂桃李・柳楽優弥主演でドラマ化され話題を呼んだ。そして2023年10月には映画が公開される。「ゆとり第一世代」と呼ばれる1987年生まれの3人の、仕事や恋愛にひたむきに向き合いながら生きる姿は、きっと同世代の心に響くはずだ。

 そもそも世間がイメージするゆとりの環境と、主人公の坂間、山路、まりぶたちゆとり第一世代が経験してきた環境には大きな差がある。学校は土日が休みとなったが、彼らの多くは受験勉強のために塾に通い、実質休みではなかった。大学3年生のときにはリーマンショックが訪れ、いきなり就職難に見舞われ競争が激化、運動会でもしっかり順位をつけられていた。「みんな違ってみんないい」や「ナンバーワンよりオンリーワン」という教育方針は、彼らに馴染んではいないのだ。むしろそれまでの「優勝劣敗」の教育概念が染みついている。

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 しかし、「叱られることに慣れていない」「相手の言葉に繊細過ぎる」「競争に慣れていない」といったゆとりイズム満載の後輩の存在もあってか、先輩や上司からは「ゆとり世代」と一括りにされてしまう主人公たち。坂間は、ゆとり世代真っただ中の後輩・山岸が起こすさまざまな不祥事や無礼のせいで上司との板挟みにあってしまう。教員の山路も、教育実習生の対応に四苦八苦する。あえて新しく世代を作るなら「板挟み世代」と名付けてもいいくらいだ。

 もちろん彼らにもゆとりイズムが感じられないわけではない。物語のそこかしこに「自分たちもじゃん!」と突っ込みたくなる点がちりばめられている。リアルな世界を生きる僕らも、決して「100%ゆとりではありません!」と言えない点はあると自覚しているはず。「でもなんか一括りにはされるのはちょっと……」という気持ちがあるのも事実だ。本作はそんな微妙なさじ加減も見事に描かれている。

 映画では、ゆとり第一世代の彼らがさらなる窮地に立たされるだろう。予告編を見るだけでも大変そうなのは明らかであり、またドラマ版や書中で主人公たちを悩ませた人物たちも登場するようだ。ぜひ書籍を買ってドラマも見てから映画を見ることをおすすめする。

文=トヤカン

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