刑務所帰りのお爺ちゃんがカッコよすぎる! 筒井康隆のSFでもブラックユーモアでもない、王道&感動ジュブナイル小説

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/22

わたしのグランパ
わたしのグランパ(文春文庫)』(筒井康隆/文藝春秋)

 筒井康隆といえば、SF。そうでないなら、ブラックユーモアの作家だと思い込んでいる人は多いだろう。だが、実は、筒井康隆の作品の幅はかなり広い。たとえば『わたしのグランパ(文春文庫)』(筒井康隆/文藝春秋)は、SF小説でもなければ、シニカルな物語でもない。描かれるのは、祖父と孫娘の心の交流。感涙必至の王道ジュブナイル小説だ。

 主人公は、中学生の五代珠子。ある時、父親の日記を盗み見た彼女は、そこに「囹圄の人」という言葉を見つけた。それは、海外で暮らしていると聞かされてきた祖父・謙三に関する記述。「囹圄」が「牢屋」という意味だと知った珠子は、本当は謙三が刑務所に入っていることを初めて知ることになる。そして、刑期を終えた謙三が10年以上ぶりに帰宅してからというもの、彼女の日常は大きく変わり始めた。いじめや両親の不仲など、たくさんの問題に悩まされていた珠子だったが、謙三はそれを持ち前の度胸と行動力で次から次へと解決していく。

 和服の着流しに五分刈りのごま塩頭。見た目は怖いのに、話しかたは意外なほど穏やか。凛とした佇まいの謙三は、筋が一本しっかり通っている男だ。仁義を重んじ、曲がったことは決して許さない。命さえ惜しまないその行動は時に危なっかしい。だけれども、思いやりあふれるその姿には、憧れさえ感じてしまうだろう。それは、珠子だって同じだ。珠子はまるで謙三に弟子入りしたかのよう。最初は、ムショ帰りの謙三とどう接していいのか分からずにいたが、次第に彼の優しさに惹かれ、どんどん謙三の影響を受けていく。その姿はなんて微笑ましいのだろう。珠子と謙三の間には、強く固い絆が紡がれていく。

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 初めて読んだ時には、謙三の活躍ばかりに注目してしまいがちだったが、改めて読み返してみると、謙三の妻であり、珠子の祖母である操の思いにもグッとくる。元々操は、珠子とその両親とともに、4人で暮らしていた。だが、彼女は、謙三が出所することを知ると、「あの人とは一緒にいられない」と、謙三と顔も合わせずに、引っ越してしまう。「10年以上ぶりに会えるというのに、あまりにも冷たすぎでは?」「それほどまでに謙三のことが嫌いなのか?」と思わされてしまうが、実はそれは違う。そこにあったのは、あまりにも深い愛情。操の謙三に対する思いを知れば、誰だって胸が熱くなるだろう。

「どんな死に方をするかじゃなく、死ぬまでに何ができるかってことだ」

 謙三の魂がこもった言葉、行動に触れるうちに、自分も謙三のように生きたいと思わずにはいられない。子どもの頃、この作品を一度読んだ時は「ああ、私にもこんなグランパがいたらな」と思ったものだが、大人になった目線で読むと、もしかしたら、誰の心の中にも、特に子どもや孫のような大切な存在を持つ人の心の中には、謙三のような魂が多かれ少なかれ潜んでいるのではないかと思う。孫のためなら、何だってできる、いつでも命だって張れる、謙三の姿に共感させられるとともに、謙三のような真っ直ぐな心で、大切な存在にもっともっと愛情を注ぎたいと思わされるのだ。……そう、この本は子どもたちだけのものではない。大人が読んでも心動かされるに違いない、ハートウォーミングストーリーなのだ。

文=アサトーミナミ

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