上半身は成長しても、下半身は子どものまま? 実在した画家がモチーフの、筒井康隆のどんでん返しミステリー

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/12

ロートレック荘事件
ロートレック荘事件』(筒井康隆/新潮文庫)

“どんでん返し”の傑作として知られる筒井康隆さんのミステリー小説『ロートレック荘事件』(新潮文庫)は、タイトルどおり、36歳の若さで亡くなった画家・ロートレックの生涯がモチーフとなっている。フランスの名門伯爵家に生まれ、幼い頃から絵画の才能を見出されていた彼は、13歳で左の、14歳で右の大腿骨を骨折。以後、足は発育せず、身長は152センチで、上半身は大人に成長しても、下半身は子どものままというアンバランスな身体を抱えた彼は差別を受けることも多く、夜の世界に生きる女たちとの交流を深め、彼女たちの絵を描くことも多かった。代表作のひとつであるムーラン・ルージュの絵は、本作の冒頭にカラーで収録されている。

 そんなロートレックと同じように、8歳で下半身の成長を止めた重樹と、怪我の原因をつくってしまった重樹のいとこが28歳になり、二人の父親が共同経営していた会社が倒れて手放した別荘に、客として招かれるところから本作は始まる。招待主は、木内文麿。資産家で、ロートレックの蒐集が趣味で、28歳にして大画伯となった若い才能への投資も惜しまない。さらに木内の娘・典子と、友人二人の女性も、想いを寄せているようで……。と、まるでロートレックの生涯をなぞるかのような設定で展開していく。ところが、優雅なバカンスを打ち壊すように銃声が鳴り響き、一人、また一人と命を落としていくのである。

 犯人の正体や仕掛けについては、ミステリーを読み慣れた読者なら早々に看破することもあるだろう。そもそも著者自身が丁寧にヒントをちりばめていて、見抜かれたとしてもかまわない、と思っているような気もする(とはいえ初版刊行時の1990年においては、かなり画期的な仕掛けの作品だったはず)。個人的にはまったく気づかなかったので、種明かしのパートでは「まじか!」と素直に驚嘆したのだけれど、言われてみれば引っ掛かりを覚えた個所はいくつかあったのである。でも、それに気づいてまたぞっとした。私がその描写に引っ掛かった理由こそが、犯人の動機の一つだったからである。

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 単純なトリックや構造の話だけいえば、令和5年の今、類似する作品は少なからずあるだろう。でも、他の誰にもこんな作品は書けない、とも思う。ロートレックに重ねて描かれる重樹の孤独や痛み。ラストに明かされる真相と犯人の言葉。そのすべてが、読み終えたあとも余韻として残り続け、じくじくと胸が痛む。

 本作にカラーで挿し込まれる何枚かの絵は、物語に直接関係しない。なぜそこに絵があるのか、説明もなされない。でも、ロートレックで彩られた豪華な屋敷に読み手自身もいるかのような臨場感を味わわせるため……だけではないだろう。キャバレーで踊る女たち、洗濯女に、ジプシー女。伝説的な歌手の華々しい舞台裏で、照明を当て続ける影の男。ロートレックが想いを寄せただろう無数の「人」たちと本作で描かれたものを、重ね合わさずにはいられない。

文=立花もも

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