三ツ星シェフと消防士、幼なじみが中年で結婚し30年――愛に満ちた晩年BLが描く、パートナーとともに老いる幸せな日常

マンガ

公開日:2023/12/12

スイもアマイも
スイもアマイも』(市ヶ谷茅/KADOKAWA)

 酸いも甘いも経験し、すっかり大人になってから思わぬ場所(ゲイバー)で再会した幼なじみと恋に落ちて結ばれる。そんなふたりが連れ添って30年が経ち、老年期を迎えて――。『スイもアマイも』(市ヶ谷茅/KADOKAWA)は、そんな修志と清嗣の人生の物語だ。

 著者の市ヶ谷茅氏は2015年に、時代小説の大家(異性愛者)と、その色香に翻弄される若い編集者(ゲイ)とのエロティックな関係を描いた『けむにまかれて』(KADOKAWA)でデビューした。当時から独自の個性が光る作家で、その輝きは本作でさらに増したといえるだろう。デビュー作にはその作家のすべてがあるとよく言われるが、『けむにまかれて』の老作家の色気はすさまじかったし、あとがきには「枯れ専モノはどうやらスキマ産業寄りになる」らしいが、「ナチュラルボーンオジサマスキーとしては、未だもって王道になりきらないのが不思議で仕方ない」とある。

 デビュー以降も魅力的な老年男性を描き続けてきた市ヶ谷氏だが、本作ではキャラクターの魅力もさることながら、印象に残るのはふたりの関係だ。お互いへの愛情に満ちあふれた彼らの晩年の日々はおだやかで優しく、「こんなふうに愛しあうパートナーと人生を送れたら……」と夢のように思う人は多いのではないだろうか。

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 三ツ星レストランのシェフだった修志と消防士だった清嗣は、結婚30年を迎えた老夫夫。修二は料理教室、清嗣は書道教室で先生をしているが、仕事はリタイアし、ふたりの生活を楽しんでいる。養子縁組で籍を入れた記念日には、ホールケーキを買って乾杯し、記念の写真を撮り、アルバムに残す。若いころは仕事に忙殺されていたふたりも、今は時間がたっぷりあるので、手のかかる料理を作ったり、デジカメで撮った写真をわざわざ印刷してアルバムに収めたり、丁寧に生活を営む日々だ。

スイもアマイも

 アルバムをしまっている耐火金庫の中にはクッキー缶が入っていて、偶然それを見つけた修志は、清嗣がボケて、食べかけのクッキーを忘れてしまい込んでいるのでは?と胸をざわつかせる。だがその中身は、昔、仕事ですれ違い顔を合わせられないときに、修志がテーブルに残していた書き置きだった。30年近く前、消防士の仕事でつらい現場を経験して落ち込んでいた時期に、修志の書き置きに慰められた清嗣は、そのころから修志の何気ない書き置きをずっと大事に集めていたのだ。30年越しに「これは全部お前がくれた気持ちだ 俺にとっちゃ宝物なんだよ」と伝えられた修志は頬を染めて涙ぐむ……。

スイもアマイも

スイもアマイも

 修志も清嗣も、お互いをよく見て、思いやって、たくさん会話をして、誉め言葉や、感謝の言葉を常に相手に伝えている。一緒にいる時間が長くなっても、年を重ねても、家族になっても、言葉や行動で、労を惜しまず相手に愛情を示し続けているのだ。ともに生きる相手がいて幸福と思えるのは、修志の日々の書き置きやそれを大切にしてきた清嗣のように、絶え間ないこまやかなお互いへの愛情が言葉と行動となり、積み重なった結果なのだと気づかされる。

スイもアマイも

スイもアマイも

 ふたりの愛情生活以外にも、修志が毒親育ちで過酷な子ども時代を過ごしたことや、それぞれの親の死、マイノリティの生きづらさ、長くお世話になった恩人が認知症を患うエピソードなども描かれる。修志の70代の姉・美寿代が息子のような年齢の男性と熟年結婚して驚かされたりもする。ふたりでおだやかに暮らす老年に至るまでにも、今現在も、彼らの幸せな日常の中には悩みも悲しみも普通に存在しているのだ。

 生きていれば明日何が起こるのかは誰にもわからない。そう、不安はいつだってそこにあるのだ。けれど「あと何年生きてるかな なんてよぎるようになったけど」「一緒においしいもの食べてると 楽しくて まだまだふたりで過ごしたい」と修志は思う。きっとふたりはお互いを大切にしながら、死がふたりを分かつまで笑って楽しく生きていくのだろう。

 ハッピーエンドのその先も、ふたりは幸せに暮らしましたとさ……少し先を生きる彼らのそんな幸福な日常の在り方は、これからそこへ向かう私たちの希望だと思う。その日々が一日でも長く続くことを心から祈りたい。

文=波多野公美

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