“普通”という言葉の前で逡巡する人々の声が刺さる――高校1年の夏、恋に落ちたぼくと彼を巡る小さな恋の物語

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/1/16

ぼくは青くて透明で
『ぼくは青くて透明で』(窪美澄/文藝春秋)

“それが普通だから”。どんな会話のなかでも、たとえば心を尽くして相手に理解してもらおうと語っていても、そのひと言がこぼれると、そこで話は終わり、思考は停止してしまう。社会のなかで多様性というものに光が当たり、各々の個を認めようとする時代へと進んできたにもかかわらず、“普通”という、それこそごく普通の言葉の威力はいまだに半端ない。

 シングルマザーが3編に登場する小説集『夜に星を放つ』(文藝春秋)、揶揄の対象にされてしまいがちなアラフィフ女性の真摯な恋愛を描いた『私は女になりたい』(講談社)、心が折れ、思うように社会生活を営めなくなってしまった人々の姿を描いた『夜空に浮かぶ欠けた月たち』(KADOKAWA)――。窪美澄氏は、“普通ではない”と周りから言われてしまいがちな人たちのやるせない気持ちを小説のなかで可視化させてきた。

 けれど、『ぼくは青くて透明で』』(文藝春秋)の主人公は、“普通”に臆する姿を見せない。“ぼくはみんなの「普通」にあれこれ言わない。だから、ぼくの「普通」にもあれこれ言ってほしくない”という思いを、痛みに耐えながらも健やかに抱いている。

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「ぼく」(羽田海)は継母の美佐子とふたり暮らしをしている。幼い頃に実の母が家を出、その後、美佐子と結婚した父親もまた、海が小学校に上がってすぐ姿を消してしまった。高校1年生になる今まで海を育ててきたのは血の繋がらない美佐子だ。

 海は物心ついたときから怪獣やヒーローものなどには興味を示さず、ぬいぐるみや人形などを好む子だった。小学校入学時に選んだランドセルの色も、赤。父・緑亮も美佐子も、“男の子なのに”ということは一切口にせず、“海は海”だからと受け止めていた。だが周囲がそれを見過ごすことはなかった。学校ではいじめに遭い、美佐子の失業と転職に伴って移り住んだ土地の高校でも、海は奇異の目を向けられていた。

“高校に入ったら、開封前のレトルトみたいに封をしっかり閉じて、男性が好きという自分の「中身」が漏れ出さないように生きていく”と決めていたのに、漏れてしまう自分の本当。だがそこで出会ってしまったのだ、“あんたは普通の世界で普通に生きていったほうがよくね”と強がる海に、“普通って何だよ!?”と頬を張り、気持ちを伝えてくる長岡忍に。クラスのまとめ役で優等生、父親は町議会議員。いい大学に、いい会社に、という“普通”の期待を幼い頃から暗黙のうちに背負ってきた忍も、自分のなかの普通ではない部分に気が付いていた。大きな湖のある山に囲まれた町で始まった高校1年生同士の小さな恋が走り出していく。

「第一話 海」から始まる物語は、高校卒業後にこの小さな町を出て、人目を気にせず付き合うことのできる東京に行くという夢を叶えた海と忍の恋を、視点人物を違えた6つのストーリーで捉えていく。「第二話 美佐子」では、女の子の心を持った幼い海と出会い、シングルマザーとして彼を育んできたこれまでのことが、「第四話 璃子」では、学校で浮いた存在になってしまった海と忍の唯一の理解者となり、進学した先の東京でもふたりを支える元クラスメイトが見つめてきたふたりの姿が、「第五話 緑亮」では、海と美佐子を置き去りにして出てきた東京で再び海と交流を始めるまでの空白期間、そして今の海の様子が、息子への贖罪と愛しさがこぼれる父親の目線で語られていく。

 そうして語る人々もまた、“普通”というものの前で逡巡を重ねている。学校を出たら就職して結婚し、ふたりくらい子どもを産んで、という自分も周囲も当たり前のこととして考えていた普通の機会が自分だけには訪れなかったり、些細なことから始まったいじめのループに嵌り、そのなかで唯一、心の支えとしていた自分の好きなものさえ、普通ではないと貶められたり、父親のいない家に生まれ、母さえも幼い自分を捨てて出ていった普通ではない家庭で育ってきたり……。けれど決して普通ではなかったということのせいにせず、悩み、怒り、苦しみながらも果敢に自分の人生を営む人々の姿は清々しく、“普通”っていったい何?という思考がページを繰るたび波のように寄せてくる。

「第三章 忍」と「最終話 海」では、ふたりそれぞれの視点から、自分が選んだこの恋への思い、葛藤、そして男同士が恋することに対する、それぞれ異なる自分だけの“普通”が描かれる。ひたむきで、愚かで、まるで手探りをしながら自分と相手の気持ちを確かめていくような清冽さは、窪氏のデビュー作『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)を初めて読んだときの感覚にもどこか通じる。最後のページを閉じたあと、男の子同士の恋という括りから解き放たれ、“いい恋愛小説を読んだなぁ”と、空を見上げる自分がいる。

文=河村道子

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