東日本大震災からまもなく13年。「復興」の本当の意味について問う、被災者の痛切な声が響く社会派ミステリー

文芸・カルチャー

PR更新日:2024/1/29

彷徨う者たち
彷徨う者たち』(中山七里/NHK出版)

 テレビに映し出される真新しい公営住宅や巨大防潮堤。東日本大震災後、それらを観て「復興は確かに進んでいる」と安堵した人は多いだろう。だが、再開発を進め、インフラを整備すれば「復興」と言えるのだろうか。『彷徨う者たち』(中山七里/NHK出版)は、そんな疑問を突き付けてくる社会派ヒューマンミステリーだ。

 本書は、映画化された『護られなかった者たちへ』、『境界線』に続く宮城県警シリーズ第3弾であり、三部作の完結編にあたる。舞台は、2018年の宮城県・南三陸町。前2作で主軸となった笘篠刑事に代わり、彼の相棒である後輩刑事・蓮田を中心に物語が進んでいく。

 震災の爪痕が残る南三陸町で、殺人事件が発生した。現場は、解体作業が進む仮設住宅の一室であり、扉も窓も施錠された完全密室。被害者の掛川勇児は、仮設住宅を管理する町役場の職員だった。とはいえ、災害公営住宅への転居が進んでいるため、今なお仮設住宅に住み続けるのは3世帯のみ。掛川は、残った住民たちに転居を促す立場でもあった。説得を行う中、住民たちとの間にトラブルが生じたのではないか。そう考えた笘篠と蓮田は捜査にあたるが、聞き込みを進める中、蓮田は幼なじみの大原知歌と再会する。

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 蓮田と知歌、祝井貢、森見沙羅の4人は、南三陸町で育った幼なじみグループだった。だが、ある出来事を機に蓮田と他の3人は疎遠になり、高校卒業後には蓮田が仙台市に引っ越したため、交流は途絶えてしまう。しかも、東日本大震災でほとんど被害を受けなかった蓮田と違い、3人は津波により家族や財産を失った身。同じ被災者にもかかわらず、蓮田はより大きな被害を受けた彼らに負い目を感じることになる。こうした背景がある中、幼なじみのひとりが事件の容疑者として浮上。蓮田は、職務と友情の狭間で葛藤し、苦悩を深めていく。

 被災の多寡による心の断絶、再開発の裏側で渦巻く私利私欲、復興の槌音にかき消される被災者の声。作中では、震災が奪い去ったものを克明に浮かび上がらせている。中でも印象深いのは、NPO法人で被災者のケア活動を行う知歌の「最近、復興の意味が分からなくなった」という嘆きだ。国は新しい建物を作り、にぎわいを取り戻すことが「復興」だと考えている。だが、仮設住宅から災害公営住宅に移れば、これまでのコミュニティがバラバラになり、近所付き合いもできず孤立してしまうだろう。居場所を失った人々は、あてもなく心を彷徨わせることになる。確かに、行政が被災者の心のケアまで担うことはできない。だが、拠り所を奪われた人たちはどう生きればいいのか。網の目から取りこぼされた人々の存在に気づき、はっとさせられる。

 作中で「彷徨う者たち」として描かれているのは、仮設住宅の入居者だけではない。刑事としての覚悟が足りず、私情に流され、事件に踏み込めない蓮田。震災で大事なものを失ったからこそ、今あるものを手放すまいと必死になる幼なじみたち。彼らもまた、絆を解かれ、心を彷徨わせている。震災が奪ったものの大きさがあらためて胸に迫り、ラストは涙を禁じ得ない。

 東日本大震災からまもなく13年経つが、本当の意味での「復興」はまだ道半ばだ。そして、2024年には能登半島が大地震に見舞われ、またも多くの被災者を生んでいる。SNS上では過疎地の復興に疑義を呈する意見も上がり、当事者を置き去りにした冷酷な声が現在進行形で広がり続けている。日本は災害大国であり、自然災害が起きれば今後もまた同じような問題を繰り返すだろう。これは決して過去の震災を描いた小説ではない。今を生きる私たちの物語だ。

文=野本由起

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