学生時代に過ごした街で感じる、“浦島太郎”のような不思議な感覚。そんな街での新生活を優しく描く『うらはぐさ風土記』

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/3/6

うらはぐさ風土記
うらはぐさ風土記』(中島京子/集英社)

 久々に学生時代に過ごした街を訪れると、何だか立ちすくむような、泣きたいような気持ちにさせられる。胸をつくような郷愁。物悲しさと、滑稽さ。かつて確かにこの街で過ごしたはずなのに、変化したその姿についていけない。懐かしいはずの街の風景に、ソワソワと落ち着かない気分にさせられる。そんな感覚は、“浦島太郎”状態とでも形容すればいいのだろうか。だが、注意深く視線を巡らせていけば、よく見慣れた風景も決して失われてはいない。どんなに街が変化しようと、変わらないものだって、絶対にあるはずだ。

 そんな街の過去と今、未来を描き出すのが、中島京子さんによる『うらはぐさ風土記』(中島京子/集英社)。変化していく街の風景を描き出したこの本は、ときに無性に切ない。だけれども、同時にクスッと笑わされてしまうようなおかしみもあり、そして、読後、すべてを包み込まれたような心地よさを感じさせる。

 主人公は、離婚を機に30年ぶりにアメリカから帰国した大学教員の沙希。母校での仕事のため、彼女は、介護施設に入った伯父が2年前まで暮らしていた空き家でひとり暮らしをすることになった。その家があるのは、武蔵野の一角・うらはぐさ地区。沙希がその土地で出会うのは、一風変わった多様な人々だった。

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 たとえば、沙希が帰国した当日、家の庭先にぬっと現れたのが、秋葉原さん。伯父の友人で庭仕事に詳しく、善意で庭の手入れをしてくれていたらしいが、事情を知らない沙希が不審者だと勘違いするのは当然のことだろう。秋葉原さんが手入れしてくれた庭は、猫の額ほどの狭さでも、あらゆる植物が生えている。カッパの手のような葉を広げて黄色いつぼみをつけている蔓性の植物は、ネットで調べてみると、「しのびよる胡瓜」というらしい。だが、その実はどんどん丸く太っていき、どうしていいのか分からない沙希は、秋葉原さんに助けを求めるのだが……。

 山椒の赤い実、苔だらけの柿の木、行儀よくまっすぐ伸びた茗荷の茎。沙希の家の庭は、まるで宝箱だ。沙希は、その植物を使っておいしいごはんを作りながら、うらはぐさの人々とさらに交流を深めていく。コロナ下で紡がれる人と人とのゆるやかなつながり、移り変わる四季の彩り——この物語を読んでいると、生きるということ、暮らすということは、幼い植物が成長していくように、その土地に根ざしていくことなのかもしれないと、ふと、そんなことを思う。小さな苗から恐る恐る生え出した細く短い根が、次第に地面をがっしりと掴むように力強く伸びていく。その土地に根を張ることで、初めて見えてくる景色がある。初めて知る歴史がある。沙希は、うらはぐさで暮らす中で、その土地の記憶に触れていく。それは、彼女の学生時代の記憶もあれば、彼女の生まれるずっと前、戦争中の記憶もある。うらはぐさという街を知るにつれて、沙希は、自分の暮らす場所が、連綿と続く土地の歴史の変遷の果てにあることに、強い感慨を覚えるのだ。

 物語を読み進めていくうちに、あなたにとっても、うらはぐさが特別な場所になっていくことだろう。ずっと変わらないでいてほしいと、願わずにはいられない。だが、現実はそう容易くはないのだ。それならば、街に変化が訪れようという時、この物語の人々は、どんな決断を下すのだろう。新たな時代の絆、街の新たな一歩。かつて過ごした街を、そして、自分の住む街を、もっと知り、もっと愛したいと思わされるこの物語は、きっとあなたの心も優しく癒してくれるだろう。

文=アサトーミナミ