37歳、独身、彼氏なし…カリスマ書店員・新井見枝香が綴る独特エッセイ!

文芸・カルチャー

公開日:2018/3/31

『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』(新井見枝香/秀和システム)

 一人暮らしをしていると謎の重要書類が自宅に舞い込むことがある。カードかナニかのナニかであろうこの書類。丁寧に封を開けてしっかりと書類に目を通すか。はたまた書類とかよくわかんないから、右から左へ受け流すようにゴミ箱へポイーと捨ててしまうか。人類はこの2通りの人間に分かれる。

 エッセイ本『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』の著者・新井見枝香は多分、後者の人間だと思う。

 同書は37歳、独身、彼氏なし、開催したイベントは300回を超えるカリスマ的書店員が書いたエッセイ本だ。アルバイトで某有名書店に入社し、契約社員数年を経て、現在は正社員として本店に勤務。独自に設立した文学賞「新井賞」は、同時に発表される芥川賞・直木賞より売れることもあり、出版業界で話題を集めている。

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 ただ、侮るなかれ。この本は書店員が書いた本屋にまつわる心温まるエッセイというわけではない。37歳。独身。彼氏なし。家賃が払えない。他人に興味を持たない。社内のホワイトボードにナニも書かずにしばらく戻ってこない。ナイナイづくしの市井の女性が日々の生活を綴ったエッセイ中のエッセイなのである。

エッセイの基本は共感。そうそう、あるある、超わかる。

 新井はエッセイをこのように定義づけている。しかし、同書では会社とはナニか。生活とはナニか。夫婦とはナニか、人間関係とはナニか。女とはナニか。大人とはナニか。追求しているようで脱線する。脱線しているようで脱線したまま。共感できそうで共感できない。それでいて、ブログではなかなかお目にかかれないような独特な筆致で読ませるエッセイとなっている。

 かつて、立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」と語っている。なぜ、唐突にそれらしいことを言い出したかというと、同書は落語に似ているような気がしたからだ。長屋で暮らす小市民をのぞき見している気分にさせられたのだ。

自分の本棚を見ても、気に入っているエッセイは、すべて少し年上の女性が書いたものだ。乳がんを患ったり、子供を産んだり産まなかったり、離婚したり更年期を迎えたりしている、パイセンたちだ。

 新井はその種のエッセイを好んで読んでいるそうだが、エッセイにはそれ以外にも楽しみ方がある。ゴロ寝しながら、ニヤニヤしながら読んでもいい。キャベツ太郎や黒糖ミルク珈琲、チョップドチョコレートのレギュラーダブルを食べながら読んでもいいのだ。時にはポポラマーマの店内で難しそうな顔をしながら読んだっていい。同作はそう示唆してくれているような気がする。

文=梶原だもの