「お父さんが出所しました…」犯罪加害者家族が見つけた“真の家族”とは?

文芸・カルチャー

公開日:2018/6/12

『砂の家』(堂場瞬一/KADOKAWA)

“本当の家族”とは、一体なんなのだろう。家族間の殺人にスポットを当てた『砂の家』(堂場瞬一/KADOKAWA)は、そんな問いを心に投げかけてくれる本格派ミステリー小説だ。

 物語の主人公は大手外食企業「AZフーズ」で働く、浅野健人。健人は20年前、実の父親が母と妹を刺殺して逮捕されたという暗い過去を背負いながら生きてきた。そんなある日突然、父親の弁護士から「お父さんが出所しました」という電話が入り、健人は「出所した父親が自分のもとに現れるかもしれない」という不安感に襲われるようになる。

 さらに、自らが父親のように慕っている「AZフード」の社長・竹内のもとに会社の秘密を暴露した脅迫状がメールで届くようにもなり、解決役を任された健人はさらに苦しめられていくのだ。

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■犯罪加害者家族は被害者にもなりうる

 本書の見どころは、健人が犯罪加害者の家族でありながら、被害者であるというところにある。健人は父親の事件後、伯母夫婦に引き取られ、担当刑事であった豊平や5歳上の恋人・由希子から大切に想われながら今を生きている。会社で社長にもかわいがられている健人は、事件を知らない人からすると何不自由のない成功者のように見える。しかし、健人自身は事件を機に、他者との間に透明な高い壁を意図的に作り上げるようになってしまった。

 事件後、健人はまっとうに生きることで人生を再構築してきたが、自分のことを「女性と付き合う資格がない」や「綺麗な部屋を汚す、邪魔な存在」、「悪の遺伝子を抱えている」と思っており、心に深い闇を抱え続けている。

 そんな健人と同じく、キーパーソンとして描かれているのが、弟の正俊だ。自分だけ施設に引き取られた正俊は、恵まれた生活を送ったかのように見える兄を恨み、10代の頃から悪の道に手を染めていった。

 このふたりは一見、まったく違う生き方をしているように見えるが、実際はどちらも“父親”と同じような人間にはなりたくないという思いを抱えながら、人生を選択している。健人は真面目なサラリーマン道を歩み、正俊は真面目だった父とは正反対な裏の職に就くことで殺人犯にならない人生を歩もうとしている。こうしたふたりの姿は、被害者となった犯罪加害者の家族は、どう生き抜いていけばいいのかという問いを投げかけてくれる。

 近年は家族や親戚などといった親しい間柄で起こった殺人事件がメディアでもよく取りあげられている。警察庁によれば、2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)は770件あり、1979年に比べると親族間による殺人事件の割合は44%から55%に増加したのだそう。こうした事実からいえるのは、自分自身が健人や正俊のような立場になる可能性はゼロではないということだ。そうした境遇に見舞われてしまったら、果たして自分はどんな人生を選択していけるのだろうか。

■血のつながり=家族ではない

 本書は竹内と健人との関係を通し、「真の家族とはどんなものなのか」という問いも投げかけてくれる。

 健人は自分をどん底から救い上げてくれた竹内を父親のように慕い、恩返しをしたいと思っている。「家族なんてろくなものじゃない」と思い続けながらも、実の父親を心から嫌いになれない健人は脅迫された竹内を守ることで、事件当初、家族を助けられなかった自分自身を救おうともしている。

 そして、本当の家族には心を許せない竹内のほうも、厳しい境遇をたくましく生き抜いてきた健人を本当の息子のように思い、会社の未来を託したいとまで考えている。

お前がなんと言おうと、俺はお前を家族だと思っている

 竹内が発したこの言葉は、冷え切った健人の心にどれだけ温かく響いたことだろう。

 本当の家族を求め続けた2人の男たちの間には血のつながりはない。しかし、その間に芽生えていたのは嘘偽りのない、親子愛だ。本書は真の家族に大切なのは、血ではなく心のつながりなのだということも教えてくれる。

 家族や家は思っているよりも脆く、少しの衝撃で砂のようにサラサラと指の隙間からこぼれ落ち、崩れていってしまうこともある。いつも隣にいてくれる存在や帰る居場所があるのは当たり前のことではなく、どこの家庭も実は「砂の家」になる可能性を秘めているのだ。

文=古川諭香