「正しい不登校のやり方」とは? 親子で考える「学校に行かなくてもいい生き方」

出産・子育て

公開日:2018/8/25

『学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」』(小幡和輝/健康ジャーナル社)

 かつて「登校拒否」と呼ばれていた「不登校」の小中学校の生徒は、約13万人(2016年度)いるそうだ。言葉を言い換えて、不登校は必ずしも矯正しなければならないことではないという教育論が唱えられても、未だに一日でも休めば内申書に響くと教師に脅されて通い続け、子供たちの心と命が削り取られているのが実状だ。小中高と入学はしたものの禄に通わず、形だけ卒業した私としては「学校になんか行かなくていい」と子供たちに伝えてあげたい。それを代弁してくれるのが、本稿で取り上げる『学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」』(小幡和輝/健康ジャーナル社)なのだけれど、著者は私と比べるのもおこがましいほど努力と行動の人だった。

 本書は、約10年の不登校を経て定時制高校から国立大学に進学したうえ、高校生時代に起業した著者が、不登校の子供たちにではなく、その保護者に向けて著したものである。そして、タイトルに「行かなくてもいい」と「も」が入っているように、単純に学校教育を批判した内容ではない。著者の文章の他に、著者が不登校になったきっかけや、定時制高校を選んだ理由、起業するさいにあった出来事などが漫画形式で挿入されており、それこそ定時制高校に入ったのは著者のことを心配してくれていた教師が定時制高校に赴任したからでもあるという。

 著者が不登校になった理由は、小学2年生の時に算数でまだ習っていない「マイナス」という概念がクラスメイトに理解してもらえなかったことなど、他人に合わせるのが苦痛になったからだそう。私の場合も、いじめが一つのきっかけではあったけれど、小学4年生の時に宇宙人がいるかいないかクラスで議論となり、地球は宇宙にあるのだから自分たちが宇宙人じゃないかと云って引かれた想い出がある。不登校になる理由は、必ずしも一つではないし明確ではないこともあるから、実のところ本人に「どうして行かないのか」と質しても答えようがないことが本書でも述べられている。

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 だから子供が不登校になったら重要なのは、その理由をさぐるより将来に向けてサポートすることだ。著者の場合は、家にこもってのゲーム三昧では飽きてしまったらしく、適応指導教室に行き不登校仲間たちと遊んだり、友達のライブを手伝ったりしていたというから、人との付き合いが途絶えなかったのが良かったのだろう。イベントを開催するのが楽しくなった著者は、そのために高校時代に起業するのだが、本書には他に実業家の家入一真氏やバンドのJERRYBEANS(ジェリービーンズ)などの体験談も載っており、「人生のレール」なんて無いことがよく分かる。

 本書を読んで唯一心配になるとしたら、こんなに上手くいくとは限らないという点だろうか。著者は「不登校」という呼び方を、学習を意味する「ラーニング」と組み合わせて「フリーラーニング」にしようと提唱しており、学校に行かなくても努力は必要なことを示している。その努力が上手くいかなかった場合のことを考えてしまうのであれば、その心配は無意味だ。学校に通い続けて無事に卒業しても社会に出てからどうなるかは、どのみち分からないのだから。

 むしろ、私の地元の中学校が配布している学校だよりに、「いじめ根絶」と「不登校解消」などというスローガンが今でも掲載されているのが心配でならない。根絶なんてものを目標にするから学校はいじめを隠そうとするし、夏休みなどの長期休みが明ける時期は子供の自殺が一番多いとされている。不登校の原因は、いじめだけでないとしても「学校は行かなくてもいい」という選択肢がある以上、不登校は解消するのではなく支援するものだろう。もし「学校に行かない生き方」を教えてくれる教師がいるのなら、その学校には行く価値があるかもしれないが。

文=清水銀嶺