一度も呼び捨てにされたことはない―「笑点」メンバーが明かす故・桂歌丸の偉大さ

エンタメ

2019/1/19

『桂歌丸 大喜利人生 笑点メンバーが語る不屈の芸人魂』(日本テレビ/ぴあ)

「山田くん、全部持っていきなさい」

 そんな声が今でもはっきり思い出せる。2018年7月2日、テレビ番組『笑点』5代目司会者を務めた桂歌丸さんが亡くなった。歌丸さんは同番組の歴代最多出演者でもある。しかも、1966年の放送開始から、50周年を迎えられた唯一の初期メンバーなのだ。落語家としての偉大な功績があるのは間違いないものの、世間一般のイメージは「ミスター『笑点』」といって差し支えないだろう。

 桂歌丸さんの思い出を、現役の『笑点』メンバーが語ってくれた一冊が『桂歌丸 大喜利人生 笑点メンバーが語る不屈の芸人魂』(ぴあ)である。本書では、歌丸さんの楽屋での顔、『笑点』メンバーとしての誇り、そして何より落語家としての魅力が一流の同業者によって明らかにされていく。マンネリを超えて視聴率20%をたたき出すお化け番組、『笑点』。その礎を築き、守り通した歌丸さんの生き様は、多くの人に知ってもらいたい。

 最初に誰もが口をそろえて言う歌丸さんの思い出は、ずっと「さん」付けで呼んでくれたということだ。歌丸さんは相手が若手であれ前座であれ、同業者には絶対に「さん」付けだった。ただし、単に優しい先輩だったのかといえば、そうでもない。歌丸さんから司会を受け継いだ春風亭昇太さんは語る。

前座の頃から一度も呼び捨てにされたことはない。ずっと「昇太さん」。だけど、歌丸師匠が入ってくると(中略)ピリッとする。オーラを出すんですよ。

 実際、歌丸さんは弟子への態度が厳しく、細かいミスさえも見逃さない性格だった。誰にでも丁寧な態度を取っていたのは、相手に自分と同じくらいプロの矜持を求めていたからなのだろう。

 次に、歌丸さんの落語への真摯な取り組み方も全員が尊敬するところだ。丁寧で型を大切にする「歌丸落語」は、膨大な稽古量なしには成立しなかった。その姿勢は、体が弱った晩年ですら変わらなかったという。『笑点』メンバーが驚いたのは、歌丸さんが老齢になってから「三遊亭圓朝もの」に挑み出したことである。圓朝ものは尺が長いうえ、固有名詞が古いものばかりで現代のお客さんに伝わりにくい。それでも、歌丸さんはネタ下ろしの段階から完璧に仕上げて演じ切ってしまう。『笑点』勇退後は、呼吸器が手放せない状態だったにもかかわらず、呼ばれたなら地方の寄席に駆けつけ、全力で2、3分の小噺を披露していた。

おれだったら行かないよ。人間どっかで楽をしたいでしょ。でも、歌丸師匠は楽をしないんだよ。その意地の張りようったら、ないね。(語り手・三遊亭円楽さん)

 そして、歌丸さんの『笑点』への思い入れを感じさせるエピソードが次から次にこぼれてくる。上下関係が厳しい落語界において、「後輩が先輩をいじる」ことをよしとしたのは歌丸さんが寛容だったからだ。古参メンバーでありながら新メンバーにプレッシャーをかけることもない。司会になってからは、笑いが起きなかった大喜利の回答にも一言付け加えてフォローするようになる。『笑点』の和気藹々とした空間は、歌丸さんの心づかいがあってこそ生まれたのだ。

 歌丸さんは『笑点』とメンバーを生涯愛し続けた。お酒も飲まず真面目な性格だったが、メンバーと旅行に行ったときは自ら踊りで宴会を盛り上げてくれたこともあったという。本番前の楽屋でメンバー同士が輪になって語る他愛もない世間話が好きで、いつも微笑みながら耳を傾けてくれていた。こうした絆が、大喜利の見事なコンビネーション・プレーに活かされていくのだ。

今も楽屋には、いつも歌丸師匠がいらっしゃるんですよ。後楽園ホールの楽屋の隅っこには必ず、「バカだねぇ」って言いながらニコニコしてる歌丸師匠が……。(語り手・三遊亭好楽さん)

 寄席とテレビをつなぎ、落語を守り続けた歌丸さん。彼の遺志は今もなお、日曜日の夕方で受け継がれている。

文=石塚就一