リア充・清少納言に、こじらせた紫式部、メンヘラ化する藤原道綱母……あなたが友達になるなら?『平安ガールフレンズ』

文芸・カルチャー

公開日:2019/6/6

『平安ガールフレンズ』(酒井順子/KADOKAWA)

「この人とは、仲良くなれる!」と思う瞬間はいつだろう? 酒井順子さんが清少納言に対して親友のような気持ちを抱いたのは、『枕草子』を読んで「眉毛を抜くときの顔は“もののあはれ知らせ顔”」と書かれていたのがきっかけらしい。もののあはれ知らせ顔、の正式な訳がわからなくても、眉毛を抜くときの顔と言われたらたいていの女性は「ああ、ああ、あれね」と苦笑を浮かべることだろう。

 彼女の“あるある”感覚は千年の時を軽々超越する、と酒井さんが語る『平安ガールフレンズ』(KADOKAWA)は、清少納言をはじめとする平安女子を、昭和・平成・令和女子にも「友達になれそう」な身近な存在として紹介するエッセイだ。

 個人的には子供の頃、紫式部にいたく共感していた。『源氏物語』を一心不乱に書き上げるオタク気質、清少納言に「知ったような顔をした自慢したがり」と毒づいたり、自分を認めてほしいのにキャリアウーマンとして開き直りきれなかったりする、ちょっとウェットな性格。どちらかというと現代のこじらせ女子に似た気質の彼女は、自分に近いような気がして親近感がわいていた。私も平安時代に宮仕えをしていたら、同じように清少納言を「このリア充女子め!」と目の敵にしていたかもしれない。

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 だが、本書を読んで清少納言をよくよく知ると、自分に正直でてらいのない彼女はかわいらしく、反面、宮中で生きぬく賢さをそなえた彼女はとても凛々しくカッコいいのだ。「特定の女性の悪口は書いていないのに、特定の男性の悪口はたくさん書いている」のも、宮仕えしている自分に誇りをもっているのも、すごくいい。

 だからといって、紫式部がいやになったかといえばそうではない。彼女がキャリアウーマンとして開き直れなかったのは、女が職能を磨くことを“軽薄でいけ好かない”と思われがちな時代において、植えつけられた専業主婦礼賛の思想のせい。世間的なこうあるべき、と、自分自身がこうありたい、の狭間でうじうじする彼女にはやっぱりどこか心を寄せてしまうのだ。立場上、性格上、相いれなかった2人だけれど、同じクラスにいたら好敵手として意外といい関係を結んだんじゃないかなあと想像するのも楽しい。

 2人に続いて紹介される、藤原道綱母には度肝を抜かれた。自分も正妻に同じ思いを味わわせておいて、夫が心変わりすると「私たち味方よね!」とすりよったり、出家するする詐欺で家出して息子を連れまわしたり、想像していたよりずっとアグレッシブ。一夫多妻があたりまえの時代だからといって、永遠を誓ったはずの恋を裏切られれば、現代女性と同じように怒りも悲しみもするし、人によってはメンヘラ化するのも変わりがないのだな……と妙な親しみがわく(友達になれそうかどうかはさておき)。

 ほかにも、夢見る夢子な菅原孝標女、モテ美女なのになぜか不幸体質の和泉式部について書かれている本書。いつの時代も変わらない女性の本音と喜怒哀楽に、共感したり引いたりしながら、時代をこえたガールズトークを楽しんでみてほしい。

文=立花もも