この一文だけでも読む価値アリ! 記憶に残る文学作品の「ラストシーン」がとにかくカッコイイ!

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/1

『最後の一文』(半沢幹一/笠間書院)

 読み始めはおもしろかったのに、最後がつまらなかった――そんな本やマンガに出会ったことはないだろうか? 人をワクワクさせておいて最後にガッカリさせるとは、罪なヤツ…。どうせなら、良い意味で期待を裏切り、記憶に残るエンディングが見たい! 誰もがそう思っていることだろう。
 
 そんな方におススメしたいのが、こだわりにこだわり抜いたエンディングを迎える小説を数々紹介してくれる『最後の一文』(半沢幹一/笠間書院)だ。日本語表現学の教授である著者が厳選する作品は、純文学や国語の教科書に登場する有名作品など、幅広いジャンルをカバーしており、お気に入りのエンディングにきっと出会えるはずだ。

■名作と呼ばれる作品は最後の一文まで「名作」!

「勇者はひどく赤面した。」

 突然だが、こんな一文で終わる文学作品を知っているだろうか? 実はこれは、あの太宰治の「走れメロス」の最後の一文。「メロスは激怒した」という冒頭の一文はあまりにも有名。しかし、最後の一文を思い出せる人はかなり少ないのではないだろうか。

 冒頭の一文に続くあらすじはというと、激怒したメロスは、残虐非道な王の暗殺に失敗する。死刑宣告を受けたメロスは、妹の結婚式に参加するため、親友セリヌンティウスを人質にして村に帰る。数々の困難を乗り越え、約束通り帰還。熱い熱い2人の友情、その友情に感動した王とも和解して、死刑はなかったことに。そのまま、めでたしめでたし――という流れだ。

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 この熱い友情の話に「赤面」の余地はなさそうだが、思い出してほしい。メロスはあまりにも過酷な道中のため、衣服がなくなり真っ裸になっていたことを。

 最後の場面、メロスを見たひとりの少女は、緋のマントを彼に捧げる。そこでセリヌンティウスがすかさず、少女がメロスに好意を持っていることを告げる。そこで、メロスは赤面した、というわけだ。

 終始緊迫感が続く物語の最後は、ほのぼのとしたオチ。しかも「勇者」と「赤面」という言葉のギャップが、それをさらに引き立てている。また、冒頭の一文と比べると、「メロス」と「勇者」、「激怒」と「赤面」のように、対比関係もなかなかニクい演出である。

 続いて教科書に載っている作品をもう一つ紹介しよう。

「下人の行方は誰も知らない。」

 これは芥川龍之介の「羅生門」の最後の一文。本作はひとりの下人が羅生門の下で雨宿りしていたところ、死体を漁る老婆と出会う。飢えをしのぐためとはいえ、正義心から盗みが許せなかった下人だったが、言い訳を続ける老婆を見て、気持ちが変わっていく。

 そして、「では、俺が何をしてもお前は文句を言うまいな」と言うと、老婆の身包みを剥いで逃走するのであった。何とも急展開。誰がこんなラストを想像しただろうか。そして、この最後の一文につながるのだ。

■深い余韻を残す「最後の一文」をとことん味わいたい

 最後は、教科書に載っているような誰もが知っているメジャー作ではないけれども、個人的に強くオススメしたい直木賞作家・向田邦子の「かわうそ」を紹介しよう。

 本作に登場するのは中年の夫婦。老後のために、庭にマンションを建てようと考える妻に対し、自慢の庭を失いたくないと夫は反対する。しかし、夫に脳卒中の症状が出始めると、妻が勝手にその計画を進めようとする。

 物語の終盤で、妻の身勝手さに我慢できなくなった夫は、とうとう包丁を握りしめる。そんな夫の姿を見て妻が恐れおののくかと思いきや、「凄いじゃない」「もう一息よ」と茶化す。一瞬で拍子抜けしてしまった夫。そして、エンディングを迎える…。

「写真機のシャッターがおりるように、庭が急に闇になった。」

 夫が最後に見つめた庭の映像が、ありありと浮かんでくるようだ。まるで映画のような幕切れだ。 

 夫は脳卒中で死んでしまったのだろうか。
 結局、庭にマンションは建つのだろうか。
 妻は夫を見てどんな表情を浮かべるのだろうか。

 ストーリーの幕が下りてもなお、あれこれと想いを巡らせてしまう。こんな一文で終わる作品こそ、“名作”として人の心にいつまでも残るのだろう。

 いかがだっただろうか? 本書にはここで紹介した作品以外にも、たくさんの最後の一文が掲載されている。それらに触れ、物語の終わり方というものを考えてみることで、また違った視点で物語を楽しむことができるはずだ。

文=冴島友貴