遠くの見知らぬ誰かの生が、ふいに自分の生になる。33のあらすじ付き掌編に宿るドラマとは?

文芸・カルチャー

更新日:2020/8/30

百年と一日
『百年と一日』(柴崎友香/筑摩書房)

 舞台俳優4名による「さんぴん」という演劇ユニットがある。市井の人にインタビューして、そこで拾った「人生の断片」を、ひとり芝居や落語や講談やダンス、ラップなどで表現するユニットだ。劇団ロロの三浦直之が監修をつとめ、北海道や沖縄で集めたエピソードを東京などで上演などしている。本書を読み、そのさんぴんのコンセプトを連想した。

 柴崎友香『百年と一日』(筑摩書房)は33話の掌編から成る。掌編といっても、短いものは2ページ、長いものでも10ページ程度。しかも本編の前にあらすじが記されており、なにが起きるか分かった状態で読み始めることになる。

 進学、就職、結婚などのハイライトは仔細に描写されているし、登場人物が有名ギタリストになったり、交通事故に巻き込まれたり、宇宙ロケットに乗ったりというくだりもあるのだが、それ以外はとりとめのない話が続く。

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 特に目に留まったのは、気まぐれで転居を決める男性の話。彼は遠い街に引っ越した友人を訪ねた帰り、なんとなくという理由で、来た時とは違う路線に乗る。直感が働いたのだろうか、彼は聴いたことがあるようなないようなその街に住み始め、アルバイトを始める。

 しかしその街で出会った交際相手と別れると、自転車を盗まれたのを契機に、またもや新天地を求めて転居。そこで知り合った恋人と結婚し、2児をもうける。フットワークが軽いというか、気まぐれというか。

 このようなエピソードが淡々と語られ、ど派手なドラマや脚色、大仕掛けなトリックやギミックはほぼ皆無。読んでいてまったく圧がなく、淡々とした描写が続く。個人的に好きなのは、気まぐれに大根の種を蒔いたら思いのほか取れ高があり、ご近所さんに配ったという話。

 先述の演劇ユニットさんぴんを始めるにあたって、監修の三浦直之は「君の人生の断片は誰かの人生の本編だ」というテーマを掲げた。本書の帯で翻訳家の岸本佐知子は「遠くの見知らぬ誰かの生が、ふいに自分の生になる。そのぞくりとするような瞬間」という推薦文を寄せている。

 著者の文章は、読者をかろやかに自らの磁場に引き寄せ、いつの間にか物語の主役へと昇華させる。そう、ぼろアパートや古びた喫茶店を訪れた人たちを、読者が自分にオーヴァーラップさせるのだ。

 30年近く続いたジャズのかかるカフェは、壁のポスターから店に流れる音楽から、訪れる客まで一変する。客や店員が代われば店も生き物のように姿を変える。家もカフェもアパートも、時に再開発によってそのいでたちを変えざるを得ない。

 奇しくもコロナ禍の今、小さな街の名物だった飲食店が、次々に閉店に追いやられている。評者が学生時代に通っていた神保町の隠れた名店もほぼ全滅した。残念でならないが、それらの店に通った人々の記憶の中で、店員や店構えや名物料理の味が生き続けることを願ってやまない。

文=土佐有明