【本屋大賞受賞】実母から虐待を受け孤独をまとった少年…声なき声を聞き魂が寄り添うとき、新たな絆の物語が生まれる。『52ヘルツのクジラたち』

文芸・カルチャー

更新日:2021/4/14

52ヘルツのクジラたち
『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ/中央公論新社)

 私はとても、恵まれている。両親に愛されていて、食べるものに困ることもなく、「かわいそう」と言われる要素を持たずに育った。だからこそ、思春期を迎えた私の焦燥感を、認めてくれる人はいなかった。あなたはとても、恵まれている。私なりに苦しいなんて、贅沢なわがままだ。そんなふうに言われた私は、本の世界に逃げ込んだ。物語という名の海に、まだ見ぬ仲間を求めていた。

『52ヘルツのクジラたち』(町田そのこ/中央公論新社)の登場人物は、私のようにぬるい環境で生きてこられたわけではない。

 三島貴瑚は、東京での暮らしをすべて捨て、大分の田舎町へと越してきた。海の見える一軒家は、祖母が遺したものだ。長いこと母が放っていたので、転居を機に譲り受けた。だが、その名義変更の手続きとともに、母との縁もすっぱり切れた。母にとって大切なのは、実の娘である貴瑚でも、母を“妾の子”にした祖母でもなく、母が結婚した貴瑚の養父と、彼とのあいだにできた弟だけだ。

advertisement

 母と養父は、幼い貴瑚をトイレに閉じ込め、満足に食事も与えず、彼女が泣けば手を上げた。そして貴瑚が長じてからも、難病に侵された養父の介護を、彼女だけに押しつけた。過酷さを増してゆく介護に、貴瑚は自死を考えるまでに追い詰められる。ところがある日、絶望の中にいた貴瑚を、救い上げてくれる人物が現れた。高校時代の友人の同僚、アンさんだ。

 そんなアンさんとの出会いも、今となっては思い出すたびに痛む傷となった。けれど、海辺の町の雨の中、涙をこぼしている貴瑚に、傘を差しかける人物が現れる。伸びきった髪に痩せた体、薄汚れた格好の、中学生くらいの子――実母からの虐待を受け、貴瑚と同じ孤独のにおいを、その身にまとわりつかせた子どもだった。

 貴瑚はとっさの判断で、子どもを自宅に引き入れる。喋ることができないその子は、鳴き声を上げる動物の動画が好きらしく、貴瑚のタブレットで繰り返し見ていた。貴瑚はその動画の中に、聴き覚えのある音を聞いて語りかける。

このクジラの声はね、誰にも届かないんだよ(中略)。クジラもいろいろな種類がいるけど、どれもだいたい10から39ヘルツっていう(※注:声の)高さで歌うんだって。でもこのクジラの歌声は52ヘルツ。あまりに高音だから、他のクジラたちには、この声は聞こえないんだ。

 52ヘルツのクジラは孤独だ。歌声は確かに響いているのに、受け止めてくれる仲間はいない。しかし、現実という名の海は広い。同じ痛みを抱えるもの、こちらの痛みを理解してくれるものが、世界のどこかにいるかもしれない。声を上げつづけていれば、いつか仲間に巡り合えないともかぎらない。たったそれだけの希望でも、海の底のように暗い心の奥では、ひとすじの光に見える。

 アンさんが貴瑚の見えないサインを拾い、貴瑚が海辺の町で出会った子どもの声なき声を聞いたように、私は物語の中に見つけた仲間と共鳴し、実社会でも共感できる人々に巡り合えた。苦しみは、人によってさまざまだ。けれど、もしもあなたも、本書という名の海に飛び込んだなら、“私たち”と同じように、響き合うものが見つかるかもしれない。

文=三田ゆき