明治時代の鉄道は平成時代のインターネット! 鉄道紀行界の二大巨星を女性目線から綴る『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』

文芸・カルチャー

更新日:2021/7/21

鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む
『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』(酒井順子/KADOKAWA)

 鉄、鉄ちゃん、鉄子……。

 現在は鉄道ファンを様々な名称で呼び、テレビでも鉄道番組が増え、すっかり市民権を獲得している「鉄道」。文学の世界にも鉄道好きは数多いが、とりわけ傑出しているのが内田百閒と宮脇俊三であることに異を唱える人はいないだろう。

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」

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 冒頭の一文がつとに名高い『阿房列車』シリーズで、鉄道紀行というジャンルを日本文学に打ち立てた内田百閒。国鉄の全路線完全乗車に臨んだ『時刻表2万キロ』で、百閒とは異なるアプローチから鉄道紀行を世に浸透させた宮脇俊三。『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』(KADOKAWA)は、彼らが鉄道に捧げた愛と執着、その足跡を辿った一冊だ。

 著者の酒井順子さんは、やはり『女子と鉄道』(光文社)や『女流阿房列車』(新潮社)で鉄道、ひいては電車の楽しさを伝えてきた方。そして内田百閒と宮脇俊三のファンでもあるので、二人への愛情と鉄道への愛情が、行間の一つ一つからにじみ出てくるかのよう。

 日本で初めて鉄道が走ったのは明治5年(1872)。明治22年生まれの百閒は、物心ついた時から鉄道にふれていた“鉄道ネイティブ世代”であったと著者は書いている。百閒の師匠であった夏目漱石や、その友・正岡子規ら先の世代が抱いていた、鉄道に対してどこかなじみきれない思いとは、まるで無縁。それはさながら、生まれた頃からインターネットに接してきた現代の“ネットネイティブ世代”が、パソコンやスマホは在って当たり前のものと感じる感覚と似通っているのかもしれない……と。

 明治時代の鉄道は、たとえるなら平成時代のインターネットのようなもの。

 序盤、第1章に書かれているこの秀逸なたとえによって、一世紀半近くも昔に誕生した鉄道が、俄然身近なものとして感じられてくる。

 一方、百閒より37歳年下で大正15年/昭和元年(1926)生まれの宮脇俊三は、小学一年生の頃から一人で山手線に乗っていた。そんな彼を著者は“鉄エリート”と評している。

“鉄道ネイティブ第一世代”の百閒と、“鉄エリート”の宮脇。

 彼らは実際には会うことはなく、年齢差もあったので鉄道に対する感受性も、ぴったりと一致していたわけではない。それでも共通していたことの一つとして挙げているのが、戦時下での鉄道体験だ。

 昭和20年3月10日未明に起きた東京大空襲の日も、いつものように走る省線電車に乗って勤め先へ向かう百閒。同年8月15日、天皇がラジオで敗戦を告げた直後も、時刻通りに運行する汽車に感じ入る少年・宮脇。

 どんな非常時であっても鉄道は走る。そこに百閒も宮脇も安心する。「鉄道は、変わらないからこそ人を安心させる乗り物でもある」と、いみじくも著者は指摘する。だから懐かしいもの、郷愁をそそるものとして愛され、演歌でもよく歌われるのだ、と。

 しかし、本書の題名が示しているように、変わらないものはこの世にない。

 人も時代も鉄道も無常だ。それを承知しているからこそ、百閒は用事もないのに、いや用事がないからこそ鉄道に乗り続け、刻々と変化していく鉄道を肌で感じていた。宮脇は新幹線やリニアモーターカーといった“新機種”に複雑な思いを抱きつつ、それでも鉄のサガとして発情せずにいられなかった。

 鉄として生まれてしまった者たちの業にも似た鉄道への想いを、著者は共感と敬愛と、そして女性目線の冷静な観察眼で以て綴っている。であるからこそ、非鉄である方が読んでも、くすっと笑って楽しめる絶妙なバランス感がある。

 移動することが「不要不急」になってしまった現在、電車に乗る機会が減った方も多いはず。本書を読んでいると、旅をする楽しさや、家から離れて遠くへ行く解放感とかすかな緊張……そんな、電車にまつわる様々な感覚が身体のなかに蘇る。そして、彼ら(著者含む)がどうしてあんなにも鉄道に心惹かれるのか、ちょっぴり分かるような気がしてくる。

文=皆川ちか

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