【2022年話題のミステリを試し読み!】山奥の地下建築内に閉じ込められた! さらに密室状態のなか殺人事件が発生/方舟①

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/28

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

わたしは地の上に洪水を送って、
命の息のある肉なるものを、
みな天の下から滅ぼし去る。
地にあるものは、みな死に絶えるであろう。
ただし、わたしはあなたと契約を結ぼう。

旧約聖書 創世記 第六章 十七節、十八節

 

プロローグ

 廊下の天井の蛍光灯は、頼りなげにちらついていた。

 足元は、鉄骨に鉄板を溶接して、ビニールを貼った、工業的な床。壁もやはり鉄板が使われていて、区画によっては岩肌が剝き出しになっていた。

 ここは地下一階だった。それでも、地上からは十メートル近く潜っている。

 

 僕ら九人は、廊下に、宗教儀式を控えたような厳かさで立ち尽くしていた。

 120号室のドアが開いている。小さな倉庫で、中には、首を絞められた死体が転がっていた。

 殺したのは、もちろん、ここにいる九人の誰かだ。誰なのかは、犯人の他に知るものはいない。

 誰も口を利かないから、響いて来るのは、発電機の振動音ばかりである。

 それに混じって、地下三階に溜まる水の音が聞こえる気がした。水音がそんなに大きいはずはないから、幻聴である。

 助けを呼びたかったが、スマホは圏外だった。地下だから当たり前だが、地上に出られたとしても、ここは人里を離れた山奥である。電波は届かない。

 

 殺人が起こった。誰かが、彼の首を絞めて殺害した。

 それは、誰にとっても、一生のうちに遭遇するとは思いもよらない大事件に違いなかった。

 しかし、今、みんなを苦しめているのは殺人ではない。

 僕らの危機は、殺人よりもずっと逼迫していた。むしろ、彼が殺されたことを、閉塞した状況を突破するきっかけのように考えているものもいるかもしれなかった。

 この、山中に埋められた貨物船のような地下建築から脱出するには、九人のうち、誰か一人を犠牲にしなければならないのだ。

 僕らは生贄を選ばなくてはならない。そうしなければ、全員が死ぬことになる。

 どうやって選ぶのか? 九人のうち、死んでもいいのは、――死ぬべきなのは誰か?

 それは、彼を殺した人物以外にない。

 犯人以外の全員が、そう考えているに違いなかった。

 タイムリミットまでおよそ一週間。それまでに、僕らは殺人犯を見つけなければならない。

 

1 方舟

   一

 国道近くの散策路を外れて、雑木林に分け入った僕ら七人は、朽木や落ち葉を踏み越えて山道を進むと、どこだか知らない枯れ草のしげる原っぱを通り抜けた。

 十メートルくらいの深さの谷間にかかった、古そうな木橋までやって来たときには太陽は山並みの向こうに見えなくなっていた。

 隆平が、太い腕で、丸太を組んで造られた欄干を揺さぶる。

 橋がギシギシと音を立てるのを聞いて、彼は、レスラーみたいな彫りの深い顔を歪めた。そして、隣の裕哉に言った。

「おい、マジでこれ渡んの? 聞いてねえよ。落ちるんじゃねえの?」

「いや、流石に大丈夫だって。俺、前に通ったけど、そんな危なくなかった。全然いけるよ。ほら」

 裕哉は、橋の上に一歩踏み出し、両腕を広げて体を揺すってみせた。

 どうせ、他に道はない。先をゆく裕哉に僕ら六人はついて行くしかなかった。

 橋を渡り切ったところで、僕はウインドブレーカーのポケットからスマホを引っ張り出して、時刻を確かめた。――午後四時四十八分。

 僕がスマホを握っているのを見て、蛍光色の派手な登山服姿の花が歩速をあげ、隣にやって来た。右手に自分のスマホを掲げながら訊いた。

「柊一さあ、電波繫がってる?」

「いや、もう一時間くらいずっと圏外」

「あっそ。うちも。これさ、今日は別荘には帰れないってことでいいんだよね?」

 誰も返事をしない。それが無理なのは、みんなが分かっていた。

 橋を越えると、急な山に囲まれた荒れた野原になった。そこをさらに数百歩進むと、裕哉は大声を上げた。

「きたきた! 見えた見えた。あとちょい。もうすぐそこ」

 背後から、不満と不信の視線を浴び続けていた裕哉の声には解放感が滲んでいた。しかし、まだ建物の入り口らしいものは見えない。

 

 今日の午前の話である。みんなで湖でボートに乗って遊んだあと、裕哉はこんなことを言い出した。

「こっから歩いて行けるところでさ、すごい面白い場所があるんだけど行ってみる気ある? 山奥にさ、めっちゃでかい地下建築があるんだけどさ。なんか、昔ヤバめのことに使われてたっぽいんだけど、多分今はもう誰にも知られてないんじゃないかな」

 昨日から、僕らは、裕哉の親父さんの所有する長野県の別荘に集まっていた。

 裕哉は大学時代の友達で、集まろうと発起したのも彼だった。学生時代によく遊んでいた六人の、ちょっとした同窓会である。

 みんなと会うのは二年ぶりだった。金髪に黒いピアスをつけていた裕哉が、染めるのをやめてピアスだけになっているのに、僕はまだ目が馴染まない。

 少し思うところのあった僕は従兄を連れて来たので、別荘には七人で泊まった。

 山奥の地下建築。こう聞かされても、ピンと来るものはいなかった。

 地下建築なんていう面倒なもの、それもものすごく大きいものらしいのだが、そんなのを、どこの誰が、何のために山奥に造ったのか? 信じ難いが、裕哉は、半年くらい前にそこを見て来たのだそうである。

 興味はそそられるし、遠くないのなら行ってみてもいいだろうということになった。

 ところが、話に聞いたのと違って、歩けども歩けども、地下建築にはたどり着かなかった。気楽に二、三十分も歩けばよさそうなことを言っていた裕哉は、終始不安げにスマホの地図を睨みつけていた。

 地下建築は、当然ながら地図には載っていない。裕哉は、以前に訪れた際に場所を地図アプリ上に記録しておいたというのだが、どうやらその位置が実際とかなりズレていたようだった。迷った末、ようやく場所が分かったころには、もう、日が暮れかかっていた。

<第2回に続く>

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