きのこ狩りをして道に迷ったという、3人の家族連れと合流/方舟⑥【2022年話題のミステリを試し読み!】

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/2

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

  三

 僕ら七人と、三人の家族連れは、食堂の長テーブルに向かい合わせに座った。

 妻と子は、間違えて見知らぬ人の結婚式にやって来たみたいに、僕らとこの奇妙な建物に視線を泳がせている。

「すいませんね、ご一緒しちゃって。私ら、矢崎っていいます。私が矢崎幸太郎でして――」

 父親はおもむろに、自己紹介を始めた。

「電気工事士やってまして。地元なんですけど、油断してちょっと迷っちゃってね。珍しく家族で出かけてきたんですが。これが、家内で」

「妻です。弘子です」

 険しい顔をした妻は、少し躊躇してから名を名乗った。

「で、こっちが息子で、高校一年生なんですが。ほら」

「――隼斗です」

 息子は、うつむき加減に言った。

 高校一年生だそうである。僕には、もう少し幼く見えた。

 彼はきっと、得体の知れない地下建築でときを過ごすはめになったこと以上に、両親と一緒にいるところに、自分より幾分年上の男女の集団と遭遇したのが嫌でたまらないのだ。中学生のころ、友達と行ったカラオケボックスで、家族と来ていた同級生に出くわしたときの、その気まずそうな顔を僕は思い出した。

「それで、皆さんはどちらから?」

 さやかが、僕らがもともと都内の大学の登山サークルで一緒だったこと、裕哉の誘いで昨日から長野の別荘に泊まっていること、彼に、面白い場所を知っていると言われてこの地下建築にやって来たが、遅くなって帰れなくなってしまったことを話した。

「じゃあ、皆さん、学生さん?」

「いえ、一応みんな社会人なんですけど。――私は野内さやかです。都内でヨガ教室の受付やってます」

「ああなんか、そんな感じですね」

 髪を染め、肌も少し焼けたさやかに、矢崎はそう言った。妻と子は、余計なことを言うなと嫌な顔をした。

「じゃ、こっちから言っていきますか? ――ほら、先輩」

 さやかは隣の花の太ももをつついた。

「あ、えっと、高津花です。普通に事務の仕事してます」

 矢崎家の三人は、一応の礼儀で、丸顔にボブカットの小柄なのが高津花さんか、と心得たように肯いた。

「じゃあ次」

「え? 何これ? 合コン? 西村裕哉です。アパレル系のとこで働いてます。なんかよろしく」

 裕哉は照れ隠しのように頰を搔く。

「絲山隆平。ジムのインストラクターです。どうも」

 隆平の体軀を見て、矢崎一家はその職業に納得したようだった。しかし、次の自己紹介を聞いたとき、彼らは意外そうな顔をした。

「――絲山麻衣といいます。幼稚園の先生です」

「あれ? あなたも絲山さん?」

 矢崎は無遠慮に訊く。

「ご結婚されてるの?」

「はい。そうです」

「へえ。あ、すいませんね。お若いからちょっとびっくりした。サークルの学生さん同士でねえ。いいですね」

 取ってつけたように矢崎は言った。

 若いといったって、彼らが結婚してからもう二年が経っている。それでもやっぱり、誰の目にも、隆平と麻衣の二人は夫婦らしくは見えないのだ。――僕はそう思った。

 

 順番が来たので、僕も右に倣って自己紹介をする。越野柊一、職業はシステムエンジニア。

 最後の一人になって、さやかが慌てたように言った。

「あ、さっき私たちみんなおんなじサークル出身って言ったんですけど、この人だけ別なんです。柊一先輩のご親戚で――」

「篠田翔太郎です。こいつの従兄です。ちょっと縁あって来させてもらってるんですよ。よろしく」

 矢崎一家も、それと言われる前から、翔太郎の異質な雰囲気には気づいていたらしかった。みんな実用性本位のアウトドアウェアを着ている中にあって、翔太郎一人だけ、どこで買ったか知らないが、山を舐め腐ったデザインの縦縞のセットアップを身につけている。年は僕らより三つ上で、背はこの場の誰よりも高かった。

 翔太郎を相手に、矢崎は初めて露骨に胡散臭そうな表情を見せた。しかし、すぐに笑みでそれを取り繕った。

「どうも、よろしくお願いします。――皆さんは、どうしてこんなところをご存知なんですか? 誰かとご縁があるとか?」

 矢崎に問われて、裕哉が答える。

「えっとすね、別に俺たちの所有物じゃないんですけど――」

 彼は、半年前にソロキャンプをしようとしてここを見つけたことを説明した。そして、ここが過去に過激派集団によって造られたかもしれないこと、その後は犯罪組織、あるいは宗教団体に使われていたと思われることなど、翔太郎の話の受け売りをする。流石に、拷問器具が見つかったことは口にしなかった。

 それでも、矢崎家の三人は、まずいところに来てしまったとばかりに顔を見合わせた。

 翔太郎は、安心させるように言った。

「まあ、一晩くらいいても大丈夫でしょう。監獄ホテルみたいなものと思えばいいんじゃないかな。しばらくは使われてなさそうな気配だし」

「あ、そう! 流石に、誰かが来るとかは心配しなくて大丈夫。半年前に来たときと何にも変わってる感じしないし。あのとき俺、結構あちこち写真とか撮ったんだけど、それと全く同じ状態だったから。

 いや、俺も今日ここに泊まることになるつもりだったんじゃないけどさあ、前に来たときと全然違う道で来たからさ。近そうだったから行けると思っちゃったんだよね。みんな、申し訳ないです」

 おどけ混じりに裕哉は詫びた。

 本当なら、今ごろはここよりずっと快適な別荘で、酒を飲みながらトランプをするとかして過ごしていたはずである。何となしに、納得できかねる思いがみんなの胸中に渦巻いていたが、さやかが結論を出すように言った。

「まあしょうがないですよね。でもさ、矢崎さんたち困ってた訳だからある意味良かったんじゃないですか? 今、野宿はかなりきつい訳だし。

 矢崎さん、そういう感じなんですけど、ここで一泊ってことでお願いして大丈夫ですか? 閉所恐怖症とかだったらちょっとつらいかもしれないんですけど」

「まあ、一晩なら。な?」

 矢崎はそう言い、家族二人は肯いた。

「いいですか? なんか、かえってご迷惑とかなら申し訳ないですけど、一晩だけよろしくお願いします」

 そう言ってさやかは、我々が、彼らが心配するほど非常識な集団ではないことを納得させた。

「――そうだ、なんか食べません? 私、流石にお腹空いたんですけど。矢崎さんって食べ物持ってます?」

 忘れていた空腹を思い出した。みんなはゴソゴソと自分のかばんを探った。

 僕らは、昼過ぎにコンビニで各自パンだの惣菜だのを買っていた。それに、夜に別荘で食べるつもりで買い込んだおつまみ類がたくさんある。地下建築には缶詰などの保存食が残されていたのだが、得体が知れないから、手をつける気にはならなかった。

 矢崎一家は、弘子がリュックサックから取り出した、昼の残りらしい手作りのおにぎり二つを、もそもそと三人で分け合い始めた。

「あ、こんなの要ります? 良かったらどうぞ。はい」

 花が、小分けの羊羹を三つ差し出した。息子の隼斗が、何とか聞き取れるほどのか細い声で、ありがとうございます、と言いながら受け取った。

 それに続いて、みんなが魚肉ソーセージだのチョコレートだのを少しずつ献上し、矢崎家の夕食は僕らと同じ水準になった。

 食事が済むと、隆平が言った。

「今日ってさ、布団とかどうすんの?」

「あ、さっき見たら、マットレスとか寝袋とか結構置いてありましたよ。ちょっと埃っぽかったけど」

 部屋によっては、合宿所みたいな、古そうな寝具が置いてあるところもあった。山小屋などよりは快適に眠れそうである。

「じゃあ、矢崎さん、お休みのときは、どっか適当な部屋を使ってもらえればいいんで。良かったら、ドアの前に何か置いとくとかしといてもらってもいいですか? そうしたら、私たち、そこ使ってるって分かるので」

「ああ、そうですか。じゃあ――」

 矢崎は、妻と子の顔色を窺ってから、答えた。

「どうも。私らは休ませてもらいますんで」

「あ、はぁい。お休みなさい」

 さやかがよく通る声で挨拶を返す。一家は、寝床を求めに、食堂を出て行った。

<第7回に続く>

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