「こんなとこ、絶対昔誰か死んでるじゃん」ここは僕らがいていい場所ではない/方舟⑦【2022年話題のミステリを試し読み!】

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/3

『週刊文春ミステリーベスト10』国内部門で第1位に輝き、『このミステリーがすごい!2023年版』国内編第4位にランクインしたミステリ小説『方舟』(講談社)。著者は2019年に『絞首商会の後継人』で第60回「メフィスト賞」を受賞した、夕木春央氏だ。

 舞台は、山奥の謎めいた地下建築。大学時代の仲間5人と従兄と地下建築を訪れた主人公。さらに偶然近くにいた3人家族もともに過ごすことになるが、やがて一行は地下に閉じ込められてしまう。そんななかで殺人事件が発生! 脱出するには1人の犠牲が必要で、生贄は犯人がなるべきだ。 タイムリミットはおよそ1週間――。

 有栖川有栖氏、法月綸太郎氏など、名だたる作家や書評家が絶賛する傑作ミステリの冒頭を、全8回で試し読み!

方舟
方舟』(夕木春央/講談社)

  四

 午後八時を過ぎていた。

 僕ら七人はまだ食堂に残っていた。ネットが繫がらず、布団の上で暇を潰すことができないので、みんな寝室に向かう気にならないようだった。

 食堂は気だるげな雰囲気でいっぱいだった。矢崎たちがいるから、大騒ぎをする訳にはいかない。彼らと遭遇したことで、今回の集まりが楽しくないものだということが決定づけられたような気がしていた。

 さっきは、さやかがとりなすようなことを言ったが、僕は裕哉に文句を言いたい気持ちがないでもない。

 きっと、みんなも同じように思っている。しかし、これ以上空気を悪くしても仕方がない。

 花がこんなことを言いだしたのは、遠回しな不満の表明だった。

「うち、今夜寝れる気がしないんだけど。だってさ、こんなとこ、絶対昔誰か死んでるじゃん」

 裕哉が、ヘラヘラした笑みを浮かべて答える。

「いや、――別に絶対そうとは限らんでしょ? ヤバい人らが使ってたっぽくはあるけどさ」

 僕と裕哉と翔太郎の他は、地下二階の拷問器具を見ていないようである。それでいて、花は『方舟』の不穏な雰囲気を感じ取っているらしい。

「だってさ、例えば、こんな建物、専門家の人がちゃんと設計して造ったんじゃない訳でしょ? 工事したのも、多分素人でしょ。そんなの誰か死ぬじゃん。ここで作業するのとかめっちゃ危なそうだし。そんで、ヤバい人らだから、死体はバレないようにその辺に埋めちゃったりとか、全然ありそうじゃない?」

 翔太郎が口を挟んだ。

「まあ、確かにね。有名な大建築にも、建てる途中で誰かが死んだという話はよくある」

 僕らは、やりたくもないのに、事故物件で肝試しをやっているようなものだった。

 花は、寝れないと言いながらあくびをした。そしてぼやいた。

「こんな地下で死ぬのはきついわ。うち無理」

「どこで死ぬならいいんだよ」

 隆平が突っ込む。

「いや大体どこでも嫌だけど。とにかく、外が見えないところは絶対やだ。チューリップ畑で眠るように死にたい。――じゃあさ、みんな一番嫌な死に方ってなに?」

 この地下にふさわしそうな話題を花は提案した。

 することがないものだから、みんなは、思いのほか真剣にそれを考えた。

 裕哉が言う。

「俺、イメージ的にはあれだわ。中世とかの、腕と足を馬四頭に縛り付けられて、引っ張ってバラバラにされるやつ」

「あ、確かに。あれはキツそう」

 今度は、さやかが口を挟んだ。

「何か、火事のときって、煙を吸って気絶しちゃったらまだマシだけど、そのまま焼け死んじゃったらすごい苦しいって聞きましたけど。どうなんですかね?」

「焼死かあ。時間かかる系もやだなあ」

 すると、隆平が意見を合わせる。

「俺も、時間かかるのがキツいな。生き埋めとかだな」

「ああそう。じゃあ、柊一は?」

 問われて僕は「過労死」と答えた。翔太郎は「病死」だという。

 最後に残った麻衣は、じっくり考えて、こう答えた。

「私は、溺れるのが嫌かな。溺死」

 今に限らず、麻衣は、昨日みんなで集まったときからずっと口数が少なかった。

「思ったんだけど、もし、嫌な死に方ランキング作ったら、首を絞められたり、刺されたりして殺されるのって、意外とあんま上位じゃないんじゃない? もっとキツいの、いくらでもありそう」

 議論の結論に、花はこんな物騒なことを言った。

 別に肝試し気分を盛り上げようと思ったのではないが、なんとなく話しておくべきなような気がして、僕は地下二階で拷問器具が見つかったことを教えた。

 みんなの反応は、僕がそれを見たときとあまり変わらなかった。驚きつつも、ここで拷問が行われたかもしれない可能性をじっくり考える気にはならない様子だった。海外のニュースみたいなもので、それは自分とは関係のないことなのだ。

 しかし、みんなはこれまでよりも神妙になり、口数も少なくなった。この『方舟』は、僕らがいていい場所ではない。何となく感じていたその思いが、全員の中でよりはっきりしたようだった。

 

  五

 午後九時を過ぎた。

 最初に立ち上がったのは花だった。

「うち、もう寝る。することないし」

「あ、じゃあ私も行きます」

 さやかが、その後を追った。この二人は、別荘でも同じ部屋に寝起きしていたのである。

 それをきっかけに、みんなからプレッシャーを受けていた裕哉も、席を立った。

「俺も、寝よっかな」

 あっという間に、食堂には四人を残すだけになった。途端に僕は気重になる。

 隆平は、何かを言いたげに僕を睨む。しかし、口にしたのは穏当なことだった。

「柊一って今日どこで寝んの?」

「――いや、まだ分かんない。後で適当に決めるよ。僕は翔さんと同じところにするし」

「そうか。じゃあ、俺らももう寝るかも」

 隆平は麻衣を伴って、部屋を出て行った。食堂には、僕と翔太郎だけになった。

 しばらく無言のまま過ごした。隆平と話すときの僕が不自然に平静を装っていることは、いい加減翔太郎には覚られているだろう。

 

 112番の部屋を、翔太郎と僕は寝室に決めた。

 空のスチール棚があるくらいで、ほとんど何も置かれていないがらんとした部屋である。そこに、近くの倉庫からマットレスと寝袋を運んできた。ひとまず凍えずに眠ることはできる。

「なんかちょっと嫌だけどね。ここの寝袋」

 変なシミでもないかと思って、僕は寝具を隅々まで観察し、匂いを確かめる。

「文句言う前に自分の靴下を嗅いでみろ。これはそんなに汚くないよ。山小屋に泊まるのと変わらないだろう」

「そうだけどさ、多分犯罪者が使ってた訳じゃん」

 翔太郎はとっくに寝床に収まって、両手のひらを枕代わりにしながら、僕が寝袋の検品をするのに冷やかすような視線を向けていた。

 どうやら死体をくるんだりしていた訳ではなさそうだと納得して、寝袋をマットレスに重ねた。午前中は湖で遊んだから、着替えを持ってきたものもいるが、僕は汗の染みた登山着のまま寝るしかない。

 蛍光灯を消そうとした、そのとき。突然、僕のスマホが振動した。何かの通知が来ている。

 ネットに繫がっていないのに、通知が来るはずがないが? そう思って画面を見ると、それはトランシーバーアプリの通知だった。圏外でも、端末同士の通信によって、数十メートル以内のスマホ間で通話ができるのである。

 接続を求めているのは、麻衣のスマホだった。

 

「もしもし?」

――あっ、繫がっちゃった。柊一くん? ごめん。ちょっと試しにと思ったんだ。みんなもう、これアンインストールしちゃったのかな。

 

 このトランシーバーアプリは、学生時代、登山のときに便利そうだと思ってサークルの全員でインストールしたのである。しかし、意外に使う機会がなく、いまだにアプリを消していなかったのは、僕と麻衣だけだったらしい。

 

「隆平は?」

――今、トイレ。お腹壊したって言ってた。じゃあ明日ね。

 

 そう言って、麻衣は通話を切りかけた。しかし、その前に彼女は早口に言った。

 

――すごい気を使っちゃってるよね。私たち来なきゃ良かったんだけど、悪かったね。

 

「いや全然、なんかもうそれどころじゃないし。隆平は大丈夫なの?」

――うん。今は大丈夫。じゃあね。

 

 接続は切れた。

 振り返ると、マットレスの上の翔太郎が、事情をみんな見透かしたようにニヤついていた。

「おい柊一、絲山夫妻と何があったのか、そろそろはっきり言ってみろ」

「いや、そんな面白いことじゃないんだけどさ」

 しかし、いい加減言葉を濁し続けている訳にもいかない。少し声を潜めて、僕は喋った。

<第8回に続く>

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