すみやかなおでん、トマトの出汁割り/生物群「やさしい食べもの」⑧

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/27

 自炊をこよなく愛する内科医・生物群による、どこまでもやさしい食エッセイ。忙しない日常のなか、時に自分を甘やかし、許してくれる一皿の話。

 毎年秋冬になるとおでんが食べたくなり、好きなものを入れて好きなときに作りますが、そうは言っても大根やこんにゃくにしっかり味を入れるのは下拵えもいるもので、何日かかけて作ってそして何日かかけて食べる計画を立てる必要があります。それもあって一冬に何度もは作らないし、他の鍋物もその冬の旬の食材が出ているうちに食べたい、逃したくないものがたくさんあるため、結局おでんを自作するのは一年に一度かせいぜい二度になります。

 

 有名な話ですが、コンビニチェーンのおでんが一年で最も売れる季節は一年で最も寒い真冬ではなくまだ上着を着るかどうか迷う時季の秋口だそうで、夏から秋にかけて体感温度が急に下がる時季に人々が胃を温めるものをふとした瞬間に求めるとのこと、絶対的な気温ではなく日々の変化に反応して身体が求めるものが変わるのだなと思います。

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 一冬に二度のおでんの内訳は、一回は自分一人のためのおでんで、もう一回は人を家に招くときのおでんです。一人用の日常のおでんと誰かと食べる少し見せびらかしたい下心のあるおでんは私の場合結構中身も作り方も異なります。

 昨年、一人用のおでんをさっと作ってその日のうちに食べる方法を思いつきました。仕事が終わって「これからおでんを作りたいし、食べたいな……」という気持ちになったときでも帰ってすぐに支度をすれば夕飯に食べられます。これを「素早いおでん」「すみやかなおでん」と呼んでいます。

 帰り道におでんだねのセットとパックに入った大根おろし、きざみ葱を買います。帰ってゆで卵を小鍋で作りながらおでん鍋に出汁を作ってこんにゃくと結び昆布を入れます(だいたいおでんだねのセットに濃縮出汁が入っていますのでそれを使います)。ゆで卵の殻をむいておでん鍋に入れます。しばらくぼーっとしたあと、ちくわやさつま揚げなどの練り物を入れます。冷蔵庫に茹で野菜や蒸し野菜のストックが運よくあれば、蒸した丸ごとのじゃがいもを入れたりするし、うどんを入れたりします。

 火を止める直前にはんぺんを入れます。器によそい、きざみ葱をちらすと緑が入って見栄えがよくなります。薬味としてからしと柚子胡椒と味噌と七味唐辛子を横にセットします。手元でパックで買った大根おろしをざばざばかけながら食べると出汁の染みている大根がなくてもかなり大根を感じたい気持ちの満足感が得られるのです。こんにゃくと卵以外はその夜食べる分だけ入れています。練り物をあまり長く煮ないで食べるおでんです。大根おろし、きざみ葱は、もちろん自分でおろしたりきざんだりしてもいいのですが、一度パックに入ったものを買って使うと、味も遜色なく、なんだか楽にできました。

 人を招くときのおでんは、小鍋をたくさん使い、具材によって火の通り方を調整できるようにします。いつもより少し上等な昆布と鰹節を使ってたくさん出汁をとっておいて(驚かれるかもしれませんが、一人あたり1L以上あればとてもいいです)、出汁だけで贅沢な気持ちになれるくらいがいいように思います。下茹でが必要なものを前日か前々日からゆっくり準備しておきます。大根、ゆで卵、牛すじ肉、じゃがいも、里芋、手羽元。煮込むものではなく、当日さっと湯通しして出汁をかけて食べるような具材も用意します。

 たとえば、湯むきしたトマトや旬の牡蠣、春菊など。家に来た人に最初は大根、卵、しらたき、こんにゃく、練り物や巾着を食べてもらい、あとから家にあるありったけのお鍋でトマトのおでんや牡蠣のおでん、春菊のおでんを並べて出していくとこんなにお鍋がどこにあったの、と驚かれたりして楽しくなります。

 この冬に初めてためしてよかったことに、トマトのおでんの出汁割りがあります。湯むきしたトマトをさっとおでんの出汁にくぐらせただけで、出汁にはトマトの強いうまみが加わります。カップ酒のグラスに少し燗をつけた日本酒を注ぎ、たっぷりのトマトのおでん出汁で割る出汁割りは、練り物のおでんの出汁割りよりも、たとえばトマトサワーやブラッディ・メアリーのようなトマトを使ったカクテルを思い出す華やかなうまみの響く味わいになります。その温かいお酒とスープのあわいの不思議な飲み物は想像以上の食材の出会いの美味しさで、こればかりは一冬に一度では勿体ないかもしれません。

<第9回に続く>

生物群(せいぶつぐん)
東京在住。都内病院勤務の医師。お酒と食事が好きで、ときどき帰宅してから夜寝る前まで料理を作り続けてしまいます。


Twitter:@kmngr