のらぼう菜のこと/生物群「やさしい食べもの」⑨

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/14

 自炊をこよなく愛する内科医・生物群による、どこまでもやさしい食エッセイ。忙しない日常のなか、時に自分を甘やかし、許してくれる一皿の話。

「のらぼう菜摘みに行きたい」と怒ったようにその人は言い、診察室で私は静かに動揺していました。さっきまで動揺しているのは目の前のその人と家族だったはずだったのに、あっという間に逆転してしまったのです。私たちは端的に言えば、残された時間でいったい何をしたいのかを話そうとしていたのですが、その人は突然春先に芽吹く菜花(なばな)の話をしました。それはまだ春になりきらない肌寒い時季だったと思います。

 以前にも増して青菜が好きになってきました。短い間同居していた友人が、思い出してみれば茹で野菜の天才でした。大きな鍋にたっぷりの湯を沸かして塩を入れて、青々とした菜っぱやスナップえんどうなどをさっと茹でて、ビールを飲んでいる私の前に出してくれます。野菜によっては冷水にとり、ぎゅっと絞って皿に盛ります。味が凝縮し噛むとうまみが口の中にほとばしります。このあざやかな味は、台所のすぐそばで、できて10秒以内に口に入るからこそ味わえるもので、飲食店やお惣菜にある青菜のおひたしとは見た目が似ていても違うものです。

 春の青菜の中にのらぼう菜という葉野菜があります。もともと西東京市やあきる野市の地場で江戸時代から作られ、しおれる前の新鮮なうちに地元でだけ食べられてきた菜花だそうです。ぎざぎざとした大きめの緑色の葉でしばしば茎が赤くなる特徴のあるこの青菜は、他の菜花よりも青みや苦みが少なく、食べやすい葉野菜として知られています。寒さに強く、家庭菜園で作って収穫して食べている人もときどき見かけます。

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 1月か2月、年が明けて少し時間の経ったような時期に、その人は紹介されて私のもとに来られました。付き添いの息子さんとお二人で通院を始めることになったのです。消化器の癌で、見つかったときには癌が腹膜に広がり、前医では治療をする前からもう手の施しようがないと言われていました。癌の治療は行わず、癌による不快な症状をできるだけとり、定期的に診療しながら、困ったときに急患でも診てくれる病院を求めて私のところに訪れたわけです。

 初めて会ったときから、その人は診察室でむっつりと黙って、いらいらとしているようでした。付き添いの息子さんはそんな患者さんを見て心配そうにし、また私に視線を送って申し訳なさそうにされていました。何かつらく苦しい症状があるのか、不安で気がかりなことがあるのか、聞いても「何もない」とにべもない返事が返ってきます。なるほど、診察したり画像検査を見てみると、少なくとも見る限りは、今はあまり痛みのありそうな病変ではありませんでした。少しお腹がぽってりと張って、足も多少むくんで重たそうにしています。息子さんは「家で前より食事の量が減って心配なんです」とご本人の言葉に付け加えました。ご家族の、余命はあとどのくらいなのかという気がかりと、しかしそれだけは本人の前で言ってくれるなという無言の圧力がひしひしと伝わってきて、もちろん、本人から聞かれなければ言いませんというつもりで目と目で合図をしているような時間でした。その診察室の気まずい沈黙をやぶったのが、患者さんの「のらぼう菜摘みに行きたい」という一言でした。息子さんは慌てて、「何を言ってるの、お母さん」と取り繕いましたが、私は縋るような思いで「もう少し聞かせてくれませんか」と続きを話してもらいました。

 毎年季節になると少し遠出してお友達とのらぼう菜摘みをしていた、それに行ってもよいか、行けるのか、という質問だったのでした。この話自体は何年も前のことで、私は東京とは別の場所で育って過ごしてきたこともあり、のらぼう菜という言葉を聞いたことがありませんでしたし、ましてや現物も見たことがなく、いちご狩りとか、栗拾いとか、そういう季節の収穫のイベントのイメージはぼんやりとありましたが、そういう名前の山菜があって山に入りたいのかと思ったほど知識がありませんでした。1種類の葉野菜を旬の時季に摘みに出かけるのを楽しみにしている人がいるのだ、目の前の一見不機嫌な人がそのささやかな楽しみについて少ない言葉で自分に問うているのだということが、そのときの一言で拓かれたのです。

 そのあと、どのような足場でどのくらいの時間どんな姿勢で作業をするのか、どのような交通機関で行くのか、具体的にどの場所でどんな気温なのか、ご家族の送迎は叶うのかどうか、いろんな質問をしてなんとなく、ああ、栽培している葉野菜なのだということがやっとぼんやりと理解できてきました。足のむくみをとり、食欲が出て気だるさがとれるような処方をし、生活上の注意、皮膚や口腔環境のケア、体力を配分しながら行うリハビリのやり方などを一通りお話ししたあと、渡した処方箋に「薬なんか飲みたくない」と眉をひそめながらも、その人とご家族は来てよかったと話しその日の診察は終わりました。

 毎年春先になるとほんの短い間だけ青果店やスーパーマーケットに輝くような菜花たちが並びます。その中でものらぼう菜を探して見つけては、その患者さんのことを思い出します。希望どおりにのらぼう菜摘みに出かけ、自宅でやりたいことをやって過ごしたあと、癌による痛みも特段出ずに、夏に入るころにその方の命は旅立ちのときを迎えました。今になってみるとあの問いは、本当に端的な質問で、自分のこれからのこと全てを肌で理解している人がした正鵠を射た質問だったのだなと思い返します。その人は夏や秋のことは聞きませんでした。動ける期間はあとどれくらいなのか、どこまで命があるのかをわかっていてそのうえで確かめたかったのだと思います。

 のらぼう菜とか、菜花、それでなくてもほうれん草や小松菜などの青菜を買ってきたときは、とにかく新鮮なうちに茹でてすぐに食べることが必要なのです。難しいことも多いのですが、新鮮な肉や魚に対してするような気配りを野菜にも本当はすべきだということがこのごろは実感としてわかってきました。たっぷりの湯を鍋に沸かして塩を入れ、コインのような大きさの泡がぼこぼこと沸騰しているのを確かめたら、柔らかい葉の部分を手で持って、クレーンのように吊り下げて茎の硬い部分を鍋に入れます。手を離さずにゆらゆらとさせて1秒、2秒と時間を数え、一度温度の下がった湯が再びぼこぼこと沸き立つのを待ち、よいところで手を離して、菜箸で葉っぱの全てを熱湯に浸かるようにやさしく沈めます。また1秒、2秒と時間を数え、もうそろそろ引き上げるかどうか、悩んでから何秒か追加して、引き上げます。ざるにとり、全体があらかた冷えるまで冷水で流します。ぎゅっと絞ってざくざくと包丁で食べやすく切り、もう一度絞ってからすぐに食べます。青菜によっては、冷水にとらずに粗熱をとってもよいし、硬めに茹であげてからさっと油で炒めると味が増すものもあり、実際のところ茹で上がったあとの状態を確かめてからいろいろな食べ方を決めることもあります。何もつけずに食べる以外に、塩をかける、マヨネーズをかける、オリーブオイルをかける、ふわっと炒った卵を添えるなど、食べ方がたくさんあり、それを選べる自由さが私は好きなのです。

<第10回に続く>

生物群(せいぶつぐん)
東京在住。都内病院勤務の医師。お酒と食事が好きで、ときどき帰宅してから夜寝る前まで料理を作り続けてしまいます。


Twitter:@kmngr