どれみふぁそらしど/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑰

文芸・カルチャー

公開日:2023/2/6

 又吉直樹の日々の暮らしの中での体験と、同時に内側で爆発する感情や感覚を綴る本連載。これら作品も少なからず収録したエッセイ集『月と散文』の発売が来る3月24日に決定した。名著『東京百景』以来、実に10年ぶりとなる最新刊には未収録のお話を今回はお届けします。

先生:今日は、ピアノを弾きながら「ドレミの歌」の練習をしましょう。

生徒:はい!

先生:知らない歌詞の方がより高い集中力が求められるので、先生の言葉をよく聞いてついて来て下さい。

生徒:わかりました!

(前奏)

先生:「ど」は怒号の「ど」~

生徒:「ど」はどごうの「ど」~

先生:「れ」は憐憫の「れ」~

生徒:「れ」はれんびんの「れ」~。先生、すみません。

先生:うん、どうした?

生徒:「れんびん」ってなんですか?

先生:「憐憫」は、人を憐れむことですよ。

生徒:人をあわれむ?「どごう」というのは?

先生:「怒号」は怒り叫ぶことです。

生徒:いかりさけぶ?

先生:国語の時間じゃないんだから、そんなに言葉に引っ掛からなくていい。怒り叫びますよ。

生徒:すみません。

先生:音はしっかり取れています。

生徒:ありがとうございます。

先生:いきますよ。

(前奏)

先生:「ど」は怒号の「ど」~

生徒:「ど」はどごうの「ど」~

先生:「れ」は憐憫の「れ」~

生徒:「れ」はれんびんの「れ」~

先生:「み」は見限りの「み」~

生徒:「み」は見限りの「み」~

先生:「ふぁ」はFinal dayの「ふぁ」~

生徒:「ふぁ」はFinal dayの「ふぁ」~

先生:「そ」は齟齬が生まれるの「そ」~

生徒:「そ」は齟齬が生まれるの「そ」~

先生:「ら」は乱暴者の「ら」~

生徒:「ら」は乱暴者の「ら」~

先生:「し」は失望の「し」~

生徒:「し」は失望の「し」~

先生:「ど」は慟哭の……、「ど」

生徒:先生……。

先生:どうしたの? 早く唄いなさい。

生徒:先生。

先生:早く唄いなさい!

生徒:なんで、泣いてるんですか?

先生:泣いてなんて……。

生徒:今日の先生はなんかおかしいです。なにか嫌なことでもあったんですか?

先生:この世界で嫌なことが無い日なんてあるの?

生徒:……、先生は大人の文法を使います。子供の僕にはその意味がよくわからない。でもなんか怖い雰囲気は分かります。

先生:「ど」は怒号の「ど」。
「れ」は憐憫の「れ」。
「み」は見限りの「み」。
「ふぁ」はFinal dayの「ふぁ」。
「そ」は齟齬が生まれるの「そ」。
「ら」は乱暴者の「ら」。
「し」は失望の「し」。
「ど」は慟哭の「ど」。
なにかおかしい?

生徒:「怒り叫ぶ」とか「人をあわれむ」とか、後の言葉はよく分からなかったけど、「どうこく」の意味なら分かります。大声をあげて泣くことですよね? 母が工藤静香さんのファンなんです。工藤静香さんの曲で『慟哭』という曲がありましたよね? たしか、あの歌詞は、「一晩中泣いて泣いて泣いて」でした。そして、先生は今泣いている。

先生:……。

生徒:先生、今日の残りの時間はレッスンは止めにして、僕の『猫ふんじゃった』を聴いてください。まだ、これしかできないけれど先生を励ましたいんです。

(生徒が拙い演奏で、『猫ふんじゃった』を弾く)

先生:(慟哭)

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は3月の満月の日、7日の公開予定です>

あわせて読みたい

又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設