焚火がしたい/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑱

文芸・カルチャー

更新日:2023/3/7

 又吉直樹の日々の暮らしの中での体験と、同時に内側で爆発する感情や感覚を綴る本連載。これら作品も少なからず収録したエッセイ集『月と散文』の発売が来る3月24日に決定した。名著『東京百景』以来、実に10年ぶりとなる最新刊には未収録のお話を今回はお届けします。

 焚火がしたい。焚火に薪をくべながら、いかにも焚火をしているような表情を浮かべたい。そんな私を見た人は、「あの人は焚火に慣れているんだろうな」と思うことだろう。

 しかし、私は自分で焚火をしたことが一度もない。誰かに用意された焚火を眺めたことがあるだけだ。自転車でいうと、まだ後輪に二つの補助輪が付いている状態だろう。補助輪が付いている自転車に乗っているにも拘らず、ツール・ド・フランスの出場者のような顔でペダルを漕いでいる者がいたとしたら、「こいつ補助輪付きのチャリンコに跨っといて、なにを恰好つけとんねん」と思われて当然である。誰かに用意された焚火を神妙な面持ちで見つめるというのは、それとほとんど同じように恥ずかしいことだ。

 つまり、私が「焚火がしたい」という時、それは自分で必要な材料や道具を揃え、自分で薪を組み、自分で火をつけ、自分で風を送ったりしながら火を操りたいということである。それができて初めて焚火を前にして思いつめたような表情で酒を飲むことが許されるのである。

 しかし、一人でいきなりそんな複雑なことをやってのける自信がないので、まずは経験者に教えて貰わなければならない。

「いいですか? まず薪ですが、ホームセンターなどで購入する必要があるのですが、キャンプ場で売っている場合もありますし、キャンプ場の近くの大型スーパーなどで売っていることもあるので、事前に調べておくといいと思います。どれくらいの時間、焚火をするかにもよりますが、ご自身が思っているよりも薪は大量に購入してください」

 そのような経験者の言葉に真剣に耳を傾けて、「なるほど。キャンプ場で薪が売っている場合もあるわけですね。大体、二時間くらい焚火をするとなると薪の目安はどんなものでしょうか?」などと質問をしたり、自分のメモ帳に、「キャンプ場に薪が売ってあるか要確認」と具体的に書いておかないと一人で焚火を実行する際に困ってしまいそうだが、あまりにも従順に経験者の話を聞き過ぎるのもよくない。一人で焚火を眺め「あの時に人生の選択を誤っていなければ」と過去のことを思い出している時に、「又吉さーん、薪を火にくべる際には危険ですので軍手をしましょうね」という経験者の声が思索に混入してしまい、雰囲気が初級編になってしまうからだ。

 焚火のインタビューに答える機会があれば、「いや最初から独学というか適当になんとなくでやっているだけなんですよ。正当な方法で焚火をやっている方からすると、私のやり方なんかは邪道なんだと思います。でも太古の時代から人類は火を扱ってきたわけですよね。それは人間にとって火を使う必然性があったからなわけで、最初から焚火の指導員がいたわけではないですよね。だから、それぞれ自由で良いと思うんですよね。もちろん、火は危険を伴いますから最低限のマナーは守るべきでしょうし、燃やしてはいけないものもあるので、その点は注意が必要ですけど」というように、気が付いたら独学で習得していた焚火人でなければならない。間違っても、次のようなぬるい言動は避けなければならない。

「区の総合センターの掲示板に、毎月様々な催しもののチラシが貼りだされているのですが、その中に『初めてのキャンプ体験コース!』というのを見つけたので応募したんですよ。参加者は仕事をセミリタイヤした老人と子供が多かったですね。二十代、三十代はいませんでした。四十代が、私を含めて数人いるという構成でしたね。最初は秋に開催された『みんなで芋掘り体験!(採れた芋はお持ち帰りいただけます)』の参加者が多かったらしくて、まぁ、そういうのに参加する人っていうのはどうしても限られてしまうので、いつも似たようなメンバーになるそうなのですが、私以外はほとんど顔見知りだったようで、この輪の中に上手く入っていけるのかな? と不安になったのですが、リーダーの輪島さんを筆頭に若い区の職員さんもみんな優しくて、すぐに仲良くなることができました。焚火をする頃には、私はみんなから『火長』と呼ばれていたんです。『火』に『長』で『かちょう』ですね。会社の課長部長の課長と掛けているんでしょうけど、その集まりでは、『火長』が薪に着火するという決まりがあるらしくて、その日も私が代表して薪に着火したんですよ。もちろん丁寧に教えて貰いながらではありましたけど」

 こんな発言をしてしまっては誰からも尊敬されない。焚火を見つめながら人生の何事かを考えるのであれば、焚火におけるカリスマ性は必要不可欠だ。区の催しで学んだ焚火では、楽しくお喋りをする方向性しか許されない。ということは、焚火の本を購入して学ぶのが良いかもしれない。それも、『これでキミも、焚火マスターだ!』(日本焚火研究所)とか、『一日10分で学べる簡単一人キャンプ!』(テント永井著)みたいなタイトルの本ではいけない。「!」が付いている本は雰囲気が出ないので今回は避けたい。

 可能ならば、『薪が燃えるまでの間に』(デヴィッド・ヘンリー・ウルフ著)というような本が好ましい。この本は作家であるデヴィッド・ヘンリー・ウルフが子供の頃から過ごした自宅の裏手にある湖の畔で焚火をしながら思い出したことが綴られている。回想に入るまでの導入部分に少しだけ焚火との向き合い方が描写されている程度なのだが、それを読んでいたら自然と焚火に関する知識が身に付いたというのが理想だ。

 そんな本が存在するのかは分からないが、焚火をするために今度書店で探してみる。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<3月末ごろに連載最終回として、文章を配信いたします>

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又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設