ジェーン・スー「愛とは追い焚きみたいなもの」。モヤモヤしていたことを気持ちよくまとめてくれた一冊『愛するということ』【私の愛読書】

文芸・カルチャー

公開日:2023/5/10

ジェーン・スーさん

 さまざまな分野で活躍する著名人にお気に入りの本を紹介してもらうインタビュー連載「私の愛読書」。今回ご登場いただいたのは、このほどさまざまな分野で活躍する女性たちの人生に迫るインタビュー集『闘いの庭 咲く女 彼女たちがそこにいる理由』(文藝春秋)を出されたばかりの人気コラムニスト、ジェーン・スーさん。女の本音をあざやかに切り取るエッセイの手腕には定評があるが、意外にも読書は「苦手」なのだとか!? そんなスーさんが選んだ一冊について、お話をうかがった。

取材・文=荒井理恵 撮影=島本絵梨佳

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本屋でぱっと目について出合った一冊

――まずは愛読書との出合いを教えてください。

ジェーン・スーさん(以下、スー):選んだのは、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』(鈴木晶:訳/紀伊國屋書店)です。2年前くらいに、本屋さんでぱっと見て買いました。名著なので別の方の訳した本もあるかもしれませんが、たまたま目に入ったのがこの本でした。

愛するということ
愛するということ』(エーリッヒ・フロム:著、鈴木晶:訳/紀伊國屋書店)

――お手持ちの一冊は、ものすごくたくさん付箋がついていますね。

スー:「これは汚していい本だ」と自分で決めたので、付箋もたくさんつけてますし、線もひいてます。実は私、もともとすごく読書が苦手なんですよ。「ダ・ヴィンチWeb」にこんなにのせてもらって本当に申し訳ないんですけど、まったく本を読まずに大人になってしまったので、世界の名作と言われるものはほとんど読んでないですし……。

――なんと! あの文章術はすごいと思いますが。

スー:読むことと書くことは全然別だと思います。読む人のほうが書く上で語彙とか圧倒的にあると思うんですが、ただ読まなきゃ書けないというわけでもない。もともと書くのは好きですし、息をするように書くことはできるんですが、読むのは子どもの頃から苦手で。

――てっきり、すごい読書家でいらっしゃるのかと思っていました。

スー:いえいえ、「どうしよう、愛読書……」って。以前、自著に「読書と私」について書いたことがあるんです。私は音楽もすごく好きなんですが、音楽ならアルバムを買って聴いて、自分が好きじゃないのがあったら途中で聴かないというのを平気でできるんですね。音楽と自分は対等なんで、「これは好き、これは好みじゃないからスルー」とも言えるし、聴けないことに対する罪悪感や、知らないことに関する恥ずかしさが一切ない。でも本というのは自分より上、尊い存在だと思っているので、つまらなくても途中でやめたらすごい罪悪感があるし、本を汚さないようにきれいに読むようにもしてて。でも、それって単純に私の「読書コンプレックス」からきていることで、ちょっと立ち位置というか主客がおかしくなってるな、と。音楽を聴くみたいにすればいいんだと思って、この本はその辺にいつも置いておいて、気になったら線もひくし付箋もつけるようにして、付箋のあるところのセンテンスを見て、「そうだよねー」とか思ったりしています。

「愛」についての自分の結論と本が重なった

――この本のどんなところにひかれたんでしょうか?

スー:「愛」についての本っていっぱいあると思うんですけど、たまたま私が初めて手に取ったのがこの本で。読んだときに、自分自身が七転八倒して辿りついた、自分なりの暫定的な結論みたいなことと、フロムが言っていることとに重なる部分があって、「ああ、すごくよかった」って思ったんです。他にも同じように考えてる人が、しかも昔から考えてる人がいたということは、私なりに真理に近づいたんだろうと思えたし。自分の考えをもう少し体系的に落とし込んでいくと、こういう着地になるんだなとか、なるほどこの先までは考えてなかったという発見もありました。愛というのは、ちょっとエゴイスティックになりがちなんですよね。ただコロナ禍を経て、「やっぱり愛をもって常に接していくしかない」という結論が自分の中にあったので、だとしたら「愛というのはなんなのだろう」と興味を持って手に取った。で、そばにある。

――ご自身の経験と合致する部分とは?

スー:「愛するということには技術が必要だ」ですね。愛情があれば愛することは誰でもできるものだとか、能力として自然に備わってるものだとずっと思っていたけれど、これはもう練習するしかないんだな、と。「愛の理論」として「このように人は自分の命を与えることによって他人を豊かにして、自分を活気づけることで他人を活気づける。もらうために与えるのではなくて、与えること自体、この上ない喜びで」っていうのがあって、ここまではよく言われることですが、その先に「与えることによって、必ず他人の中で何かが生まれ、生まれたものは自分に入ってくる」ってあるんですよ。「循環性のあるものなんだ」っていうところなんかは「そうなんだよね! 最近、それ思ってた」っていう感じでした。「愛を与え続けることに喜びを見出すことが尊い」ってところで止まっちゃうことが多いし、あるいは「与えるばかりではダメだ!」みたいな二項対立になっちゃいがちですけど、そうではなくて、もっと有機的で、自分が与えることによって相手に何かが生まれてそれが自分に返ってきて循環してくという……追い焚きみたいな感じ(笑)。

――愛の追い焚き(笑)。発見というよりも、「そうだよね」ということなんですね。

スー:自分の中でモヤモヤしてたものとか、ちょっとバラバラになってたものとかが、しゅっとまとまる、みたいな感じで。それって気持ちいいじゃないですか。

――本の中に「愛するためには自分がしっかりしてないとだめだ」的なこともありましたね。そのあたりは、スーさんの新刊にもつながる気もしました。

スー:「自分を愛さないと」みたいな話ですね。ただ世の中にこれだけ文章があって、人の言葉があって、私は書くこともしゃべることもどっちも仕事にしてるので、やっぱりあんまり手垢のついた言葉はさわりたくないな、書きたくないなと思っているから。新しい言い方を考えたいエゴがあって。最近よく言ってるのは、「自分が持ってるもので渡しても減らないものをどんどん人に渡そう、愛をもって渡していこう」ということ。それは経験だったり、知識だったり、技術だったり。どれだけ人に渡しても私が持ってるものは減らないじゃないですか。人に渡したときに減らないものというのは、つまり渡した相手にとっても「誰からも奪われないもの」になるんですよ。たとえば、私が誰かに100万円渡したら、相手の財産はプラスになるけど私の財産は減ってしまう。と同時に、相手にとってもそれは「誰かほかの人から奪われる可能性がある」財産なわけですよね。でも、知識とか技術とかというのは、どんなに渡しても私からは減らないし、その人も誰からも奪われない。それって素晴らしいし、そういうのをじゃんじゃんしていこうと思っていて。「愛」というのも私の中でそのうちのひとつです。ただ自分がしっかりしてないと、人に愛を渡してるのにその分が返ってこないってブツブツ言ったりグラグラしたりして、依存になってしまいます。私も50歳近くなって、だいぶ愛情をじゃんじゃん渡していけるようになりましたね。

――自分を再確認する作用もある本なんですね。

スー:いやー、歳だから忘れちゃってるのもあるんですよね。付箋のところを開いて、「あれ? これどういう意味だっけ」って。「ああー」って。そういう感じです(笑)。

本はもっと汚していい!

――たくさんの本を読むのもいいし、一冊を大事に読むのもいい。本の付き合い方は人それぞれですよね。

スー:そうですね。私は本を汚していいっていうのを、もっと人生の早いうちから知りたかったですね。そうしたら小説のすごく好きなシーンやセリフがあったら、じゃんじゃん線ひいて付箋を貼ってとっておけたのに。頭から読みはしないけれど、スキマ時間にそこだけ読んで「そう、すごくいい話!」みたいに、読書が苦手な人間にとっての読み方というのができたはず。もったいなかったな、と思います。ある意味、本って映画なんかより楽ですよね。DVDなら見たいシーンまでいかなきゃいけないけど、本なら付箋ですぐですからね。

――たしかに(笑)! しかし、この本はいわゆる「名著」なわけですが、人におすすめするとしたら、どうおすすめされますか?

スー:簡単な本ではないけれども、興味の向いたタイミングで読んだら、すごく重要な一冊になると思います。関係ないときにはわからないかもしれないけれど、愛について「ん?」というタイミングが来たときに読んだら、「おお、しみる~」という。

――愛に迷ってもいいし、ウキウキしてるときでもいいし、愛が自分の人生の大事なテーマになってるときですかね?

スー:そうですそうです!

――たまたまのぞいた本屋で、そういうひっかかりのあるテーマと出合えるのっていいですね。

スー:でも最近は忙しくて、自分の本が発売になってもなかなか本屋さんに見に行けてないんですよ。みんなからの「本屋さんで見た!」っていうSNSの書き込みを見て「ああ、よかった」って安堵します……。

――そんな中、本日は大変興味深いお話をありがとうございました!

ジェーン・スーさん

<第18回に続く>

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