1988年エジプト。花京院典明は異様な気配を感じて表通りに出ると、そこにいたのは…/クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー①

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/7

クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー』(上遠野浩平:著、荒木飛呂彦:original concept/集英社)第1回【全5回】

かつて不老不死の吸血鬼・DIOの配下として活躍し、〈皇帝〉と呼ばれたスタンド使い――ホル・ホース。ジョースター一行との闘いとDIOの死から10年、私立探偵を営んでいた彼は、DIOが飼っていた一羽の鳥を探していた。ボインゴの予知が示した地・日本へ向かったホル・ホースは、ジョースター家と深い縁があるスタンド使い・東方仗助との数奇な出会いを果たす。『クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー』は、ジョジョ第3部と第4部の狭間の物語を描いたスピンオフ小説です。第5部の後日談を描いた小説『恥知らずのパープルヘイズ』を描いた上遠野浩平氏による、DIOの呪縛を克服する人間たちの物語をお楽しみください。

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クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー
『クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー』(上遠野浩平:著、荒木飛呂彦:original concept/集英社)

『……君は死んで燃え尽きるときに自由になるんだろうか? 生きた証はすべてなくしてしまって、後にはきっと、乱雑に散らかった混沌と、くすんだ灰が残るくらいなんだろうし、ああ――もし永遠の勝利なんてものがあるなら、そいつはきっと積み重なった灰の底の底に隠れてる、星のように輝く、砕けないダイヤモンドみたいな……』

――チプリアン・カミュ・ノルヴィッド〈舞台裏にて〉

 

 一九八八年、エジプト――ナイル川沿岸都市のひとつ、ルクソール南市街地の路地。

 その日の夜は暗かった。

 観光地であり、表通りにはまだまだ人通りも多く、雑踏のざわめきが周囲に充満していた。

 だが――その建物と建物のあいだの、ほんの小さな間隙では、異様な気配が充満していた。

「ううう…… !」

 少女は全身に鳥肌を立てて、がたがたと震えていた。寒いのではない。陽が暮れたとはいえ気温はまだ二十五度以上ある。それなのに今、彼女は身も凍るような気持ちにさせられていた。

「いいか、決してここから出るんじゃないぞ!」

 少女にそう言い聞かせているのは、彼女の従兄弟の少年だった。いつも、とても落ち着いていて、頼りになる優しいおにいちゃん……だが今は、その彼の顔にも緊張があり、眉間に深い皺が寄り、頰が引き攣っている。

 恐怖で。

「お、おにいちゃん、怖い――」

「大丈夫だから、絶対に顔を出すなよ!」

 少年はそう言うと、彼女を押し込めた建物の窪みから飛び出していった。

 通りに出た少年は、通りの向こう側からこっちに歩いてくるひとつの人影に、きっ、と鋭い視線を向けた。

 するとその人影は、すうっ、と手を胸の上に上げて、ぱちぱち――と小さく拍手をした。

「見事なものだな――花京院典明」

 少年の名前を、ひどく馴れ馴れしい口調で呼びかけてくる。

「やはり君自身を襲うのではなく、君の家族を狙うのが適切だったな――助けに来ると思ったよ、必ずな」

 その男は――ああ、しかしそいつは本当に男なのか。いや、人間なのか。

 他の何者にも似ていない、痺れるような妖しい色気がある。ついふらふらと吸い寄せられてしまうような、魅惑的でさえある気配が漂ってくる。

 ただ――冷たい。

 とてもとても冷たい――まるで死体のように、その気配からは体温がまったく感じられない。

「くっ――」

 怯みそうになる花京院に、その影はさらにゆっくりと近づいて来ながら、

「大したものだ――このDIOの視線を正面から受け止められる者はほとんどいない。やはり優秀なスタンド使いだ」

 と言った。

 花京院は眉をひそめて、

「スタンド……?」

 と訊き返した。するとDIOと名乗った影は、かすかにうなずいて見せて、

「そうだ――そういう風に名付けたんだよ。君に存在している、その〝操作可能な守護霊〞のような現象を、私はスタンドと呼んでいる。言い得て妙だと思わないか? 人の傍らに顕れ〝立つ〞から〝スタンド〞だ――特別な能力だ。君は生まれついて、それを持っているんだろう――そして、私も持っている」

 ゆらり――とDIOの周囲の空気が揺らめいた。その身体からなにか濃密なものが噴出して、その周囲を、世界をDIOの影で塗りつぶしていくかのように……迫ってくる。

 花京院の身体が、ぎしっ、と強張った。

 圧倒されていた。

 彼にはわかったのだ――そう、同じスタンド使いとしての感覚で、エンジン音を聞いただけでそれがブルドーザーだと直感できるように、本能で悟っていた。

 パワーが違いすぎる。

 彼に備わっている能力とは、根本的に桁が違っている――どうあっても敵わない。

「ぐ――」

 喉元に苦い酸味が突き上げてきた。吐きそうになっていた。内臓が、骨格が、細胞が――肉体があまりの恐怖にパニックを起こしかけていた。膝ががくがくと震え出しそうになっている。

「ぐぐッ――」

 後ずさりしそうになる。だが後退はできなかった。彼の背後には、彼の小さな従姉妹が震えているのだ。逃げることだけは絶対に――と花京院が決意を固めた、そのときだった。

 にいっ――とDIOの紅い唇が吊り上がった。その恐ろしい微笑みの向こう側から、声が響いてきた。

「ゲロを吐くぐらい怖がらなくてもいいじゃあないか――安心しろ、安心しろよ。怖がることはないんだよ、花京院――友だちになろう」

 それは心に直に染み込んでくるような柔らかさと、底無しの安らぎがある響きだった。花京院は一瞬だけ、その声に……

(あ……)

 彼の口から息が洩れた、その瞬間だった。

 DIOの姿が目の前から、ふっ、と突然に消失した。

 はっ、と我に返ったときには、もうDIOの気配は花京院の背後に立っていた。耳元で囁かれる――

「安心したな、花京院――一瞬だけホッとしたな。一瞬――それで充分ッ…… !」

 DIOの髪が逆立って、そして波打つ。それ自体が生きているかのように動く先端が鋭い棘となり、花京院に襲いかかった。

 その脳天に深々と突き刺さって――絶叫が轟いた。

「――うわああああああああ…………ッ!」

 花京院典明の悲鳴はどんどん弱くなっていき、ねじ込まれるようにして夜空に消えていく……。

 その声がかすれていくのを、物陰から出られないままの少女は、どうすることもできずに、我が身を抱えて動けない――。

「ああああ、ああ……」

 溢れる涙が地面にぽたぽたと落ちる。それは恐怖のためか、それとも無力さ故の無念からか――震える彼女の耳に、奇妙なものが聞こえてきた。

 もうとっくに夜になっているはずなのに、上から羽ばたく音が聞こえてくる。あり得ないことだった。それは日光がないところでは活動を停止するはずの生き物だったからだ。蝙蝠でも梟でもない、それは特徴的なシルエットだった。

 夜空に、鸚鵡が飛んでいる――。

 人は、失ったものを取り返すことはできるのだろうか。

 もはや原型をとどめないほどに粉々になってしまったものを、元のように戻すことは可能なのだろうか。

 これは、なくしたものを探し求めている者たちの物語である。彼らが失ってしまったものはあまりにも大きくて、自分でも真に何を失ったのか自覚できていない――そのために空回りの人生を送らざるを得なくなっている……その中で彼らが何を見出すのか。バラバラになってしまった世界の中で、その破片をかき集めて何になるのか、その残酷なる意味に直面させられたとき、彼らはどのように生きることになるのか――しかしながら、ここで軸となるはずの少年は、この問いにまったく興味がない。

 人生とは日々、せっかく組み上げた幸福が徐々に破壊されて、じわじわと失われていくことだ――このような真理を突きつけられても、彼はきっとこんな風に応えるだろう。

「あぁ〜ん? いや、別にどーでもいいんじゃあないッスかねぇ〜〜〜ッ。いったんブッ壊れても、どーにかなるんじゃないッスか? なんとかなるって。きっと。適当にいじってりゃあ勝手になおったりするモンだからよォ〜〜〜ッ。たぶん」

 東方仗助。

 それが、その少年の名前である。

 彼に取り憑いた悪霊がクレイジー・ダイヤモンドと呼ばれるようになるのは、この物語が終わった後のことになる――。

<第2回に続く>

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