「子どもの不登校はマズイよ」「もっと痩せたほうがいいよ」他人からの指摘なんて無視していい/そんな我慢はやめていい

暮らし

公開日:2023/10/27

 現代社会では、仕事、育児、人間関係などのあらゆる場面で「我慢」がつきもの。でもその我慢、あなたの幸せにつながりますか?

 『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』は、人生を幸せにする「意味のある我慢」と、幸せにつながらない「意味のない我慢」を区別する視点を与えてくれます。「意味のない我慢」からは逃げてもいいし、無理してがんばらなくてもいいのです。

 他人の目、場の空気、同調圧力などを気にせずに、自分らしくご機嫌で生きられるヒントを探してみませんか?

 他人から問題を指摘されても、無視してOK。「子どもの不登校」も「ぽっちゃり体型」も、自分が問題だと感じてなければ解決する必要なんてないんです。自分が本当に解決したいと思っていることだけに全力で取り組みましょう。

※本作品は『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)から一部抜粋・編集しました

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そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方
『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)

他人が問いかける問題を問題視しない

●「ぽっちゃり」「不登校」は解決する必要はない

 生き方の手抜きを考えるうえで重要なことのひとつに、「問題を問題だと認識しない」というアプローチがあります。他人が「それは問題だ」と言っても、自分が問題視しなければ、我慢して解決する必要がなくなるからです。

 たとえば、「自分はぽっちゃり型で、健康診断を受けたらメタボ認定された」という場合、「日本の医療では問題だから、ダイエットしたほうがいい」と考えるでしょう。

 しかし、「ぽっちゃりタイプのほうが長生きする」というデータがあります。「コレステロールが悪いというのは間違っている」という説もあります。また、ちょっと太った人を好む人もいたりするわけです。

 そうやって自らの頭で考えて合理的な理由があれば、「ぽっちゃり」を気にする必要はないと判断することもできます。その瞬間、「メタボ」という問題は問題でなくなり、問題解決も不要となるわけです。

 あるいは、自分の子どもが「勉強がつまらないから学校に行きたくない」と言って不登校になったとします。通常、親はそんな子どもを心配し、問題視するでしょう。

 しかし、学校の勉強だけが頭脳を鍛える方法ではないですし、引きこもりで社交性がなければ会社員には向かないかもしれませんが、自営業を選ぶ道もある。

 学校の勉強はあきらめて、引きこもりでも価値を出せるよう、コンピュータで何かができるように促してみる。テニスや剣道、以後や将棋といった個人プレーのお稽古に行かせてみる。

 そうやって無理に登校を強制するのではなく、子どもが本当に興味を持って打ち込めるものを探す手助けをしてあげるのが親の役目だと考えれば、不登校という問題は、解決すべき問題ではなくなります。

 私の例でいえば長男は発達障害ですが、私はとくに問題だとは思っていません。しかし多くの人は自分の子が発達障害ではないかと指摘されたらショックを受けたり反発したりするようです。

 それは彼らのなかに「発達障害はいけないこと」という思い込みがあるからでしょう。「いけないことだから治さないといけない」という発想となり、解決しなければならない問題になってしまう。

 しかし「いけないことではなく本人の発達特性だ」と捉えれば、治さないといけないことではなく、その特性を発揮できるよう促すことが重要ですから、これは普通の子どもの育て方とさほど変わらない話です(もちろん普通の子どもよりも特性の理解とケアが必要ですが)。

 何が言いたいかというと、他人が提示した問題を、自分で考えずして「解決しなきゃいけない」と思い込まない、ということです。

 自分が本質的に重要に感じられないことは、他人がどう言おうと、できる限り無視するということです。

●自分が本当に解決したい問題だけに取り組む

 ここでいう本質的とは、「自分の成功に関係があるかどうか」「自分と自分が大切にしている人たちの幸福に関係あるかどうか」です。

 それらに対しては、「全力で問題解決にあたる」。しかし、それ以外の問題は「全部捨てる」、あるいは「受け流す」というアプローチが有効です。

 そう考えれば、労力を無駄にすることなく、自分が本当に解決したい問題だけに取り組むことができます。

 たとえばかつて、ある大手教育企業の顧客データ流出事件が起きました。

 しかし私は、仮に自分の子どもの個人情報が流出したとしても、騒ぐつもりも、その企業に対して「賠償しろ」などと迫るつもりもありません。

 なぜなら、たとえばクレジットカード情報が漏れたのなら実害が起こる可能性があるので動きますが、住所や電話番号、名前や生年月日、メールアドレスや年齢が漏れたところで、実際に損害は受けないからです。

 企業からDMや営業電話が来ても、無視したり断ったりすればいいだけ。むしろ有益な情報が来るかもしれません。年収や貯蓄額が漏れたところで、ちょっと恥ずかしいくらいです。

 つまり、自分の成功や幸福には関係がないので、自分が解決すべき問題ではないということになります。まずは自分とその家族が幸福になるために、乗り越えるべき問題にこそ集中するほうが建設的で合理的ではないでしょうか。

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