食事を「つくらないといけない」なんて誰が決めた? 固定観念を取り去って、もっと自由に/そんな我慢はやめていい

暮らし

公開日:2023/10/24

 現代社会では、仕事、育児、人間関係などのあらゆる場面で「我慢」がつきもの。でもその我慢、あなたの幸せにつながりますか?

 『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』は、人生を幸せにする「意味のある我慢」と、幸せにつながらない「意味のない我慢」を区別する視点を与えてくれます。「意味のない我慢」からは逃げてもいいし、無理してがんばらなくてもいいのです。

 他人の目、場の空気、同調圧力などを気にせずに、自分らしくご機嫌で生きられるヒントを探してみませんか?

 今回は“家事”に関する我慢について。家事はやれる人がやれるときにすればいい。根拠のない思い込みを捨てて、もっと自由に、柔軟に考えましょう。

※本作品は『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)から一部抜粋・編集しました

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そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方
『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)

気分転換としての家事

●「単純作業」で生活のリズムをつくる

 もちろん、まったく家事をやらないわけではありません。わが家では掃除や片づけは外注していますが、たとえば洗濯とその取り込みは私がやっています。それは「気分転換としての作業」という位置づけです。

 書く仕事はとくに脳の疲労が激しく、数時間も書いているとかなり疲れてしまいます。

 そのため私は、昼ごろに洗濯が終わるように、朝に洗濯機のタイマーを設定して出かけています(私は家では集中できないので毎日近所のカフェに行って仕事をしています)。

 午前中の仕事で疲れ、帰宅したころには洗濯が終わっていますから、気分転換を兼ねて物干しに洗濯物を干すというわけです。

 脳の疲労解消には単純作業で身体を動かすのが適しており、無心になって干したあとにはまた集中力が戻って来るという算段です。

 ここを外注に出さず自分がやることで、コスト削減と気分転換が両立できています。

●料理をつくる気力がないときはラクしていい

 食事づくりは妻が担当しています。かつて外注を提案したことがあるのですが、「私は料理が好きなの」ということなので任せています。彼女いわく「体に入るものは自分で選びたいし、おいしいものを追求するのが好き」だそうです。

 とはいえ仕事で忙しい日は、さすがに料理をつくる気力もなく、外に食べに出かける元気すらないことがあります。そういうときは、総菜・テイクアウト・デリバリーの出番です。

 わが家にはそれになんのためらいもありません。逆に、「食事をつくらないといけない」という人の気持ちが理解できません。「つくらないといけない」なんて誰が決めたのでしょうか? 単なる本人の思い込みではないでしょうか。

 疲れているうえにさらに自ら家事を強要するよりも、便利なものを利用するほうがいいのに、と思います。

「夫が不機嫌になる」という人もいるようですが、それなら夫につくってもらえばいいでしょう。育児とは違い、家事は「やれる人がやる」「やる気のある人がやる」が大原則です。

 私自身は買い物も料理をつくるのも苦手で、片づけも面倒なので、妻が不在の夜は、外食・持ち帰り弁当・冷凍食品などで済ませています。

 買い物に行かない、料理をしない、後片づけをしない(あるいはトレー類を捨てるだけ)というのは非常にラクです。

 マクドナルドなどのファストフードを嫌う人もいますが、たまになら子どもも喜びますし、一食ぐらいジャンキーでも健康には影響ないでしょう。

 繰り返しているとおり、「何より食事は楽しい時間であるべきだ」というのが私の方針ですから、楽しく食事ができればいいのです。

 また、子どもたちはラーメンが好きですが、家でつくるときは全粒粉麺や大豆由来の麺を使うなど、炭水化物が過多にならないよう、栄養面についてはそれなりに意識しています。

●家事は段取りを意識する

 先ほどのような「気分転換としての作業」という位置づけは、私が自営業で時間に融通が利くからこそできるわけで、会社員の場合はそうもいかないかもしれません。

 そこで多忙な人、共働き家庭では、たとえば洗濯に関しては全自動洗濯乾燥機が便利です。

 たとえば値段の安い夜間電力を使って朝に洗濯・乾燥が終わるように設定したり、帰宅に合わせて洗濯・乾燥が終わるように設定したりできます。

 また、全自動食洗器も深夜に動かし、ルンバのような自動掃除機は会社に行っている日中に動作するよう設定する、というのもよくある話です。

 つまり、家事をいかに手を抜くかは、作業そのものの省略化・省力化だけでなく、「段取り」にも大きな影響を受けます。

 たとえば宅配便も、訪問時間まで自宅でただひたすら待つとか、再配達時間に遅れないよう急いで帰宅しようとするよりも、会社帰りの最寄り駅の宅配ボックスで受け取るほうがラクだという人もいるでしょう。

 買い物も毎日行くのではなく、一週間分の献立をざっくり決めて週末に食材をまとめて買っておくとか、献立と食材の宅配サービス(玄関前に置いてくれるので必ずしも自宅で待機しなくてもよい)を利用するやり方が向いている人もいると思います。

 あるいはひとり暮らしなどで洗濯ものが少なければ、週末に一週間分をまとめてコインランドリーに持って行き、一気に洗濯・乾燥まで済ませれば平日の洗濯作業から解放されて合理的という人もいるでしょう。

 そうやって自分と家族の生活リズムを考えたとき、どの場面でどういうサービスを利用するかが最も効率的かを考えることです。

●「常識」という固定観念を外す

 以前、ある主婦が総菜店でポテトサラダを買おうとしたら、「ポテトサラダくらい自分でつくれ」などとおじさんが難癖をつけてきたという話が話題になったことがありますが、そういう人は種イモから植えて一年かけて育て、収穫してからポテトサラダをつくるのでしょうか?

 おそらく暗に「料理の手抜きをするな」と言いたいのだと思いますが、これは根拠のない固定観念です。「家族には手料理を振る舞うべきだ」という固定観念が、総菜を買う行為を「手抜き」とする批判になるのでしょう。

 そういえば私も、自分の子どもが通う保育園からもらった手紙に「お弁当は愛情いっぱいの手づくりでお願いします」と書かれていたのを見たときには笑いました。

 出所は文部科学省だそうですが、お役人まで「子どもが食べる弁当は手づくりであるべき」という発想にとらわれているなんて、いったいいつの時代の話でしょうか。

 食事は(母)親がつくらなければならない、お弁当は手づくりでなければならないとは、いったい何を根拠に誰が決めたのか? 何も根拠はないし、誰も決めていないこと。

 要するに手抜きに罪悪感を覚える人は「〇〇すべきだ」「△△であるべきだ」という固定観念でガチガチになっているだけです。

 そういう考えに縛られるから窮屈になるし、そうではない現実、やりきれない自分に苦しみ悩むわけです。

 だからまずは、そういう根拠のない思い込み、固定観念を外し、もっと自由に、もっと柔軟に考えること。現代社会の美徳にはいい側面もあるものの、それが心を縛る側面もあることに気づくことです。

 しかし最大の問題は、その対象になる人のほとんどは「自分が常識にとらわれているとは思っていない」「そもそもそれが固定観念であることに気づいていない」ことです。自分の常識や固定観念に気づける場面は、たとえば、「他人の言動にイラっとしたとき」「他人をずるいと感じたとき」「他人に批判や説教をしたくなったとき」「罪悪感やうしろめたさを感じたとき」など、じつはそんなにめずらしいものでありません。

<第6回に続く>

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