王侯貴族や聖職者たちを虜にしたチョコレート。人気ゆえに100年も続いた論争とは?/チョコレートで読み解く世界史②

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/16

チョコレートで読み解く世界史』(増田ユリヤ/ポプラ社)第2回【全5回】

ヨーロッパとキリスト教の歴史から、今の世界情勢が見えてくる! マヤのバカル王にとって長寿の秘訣だった“カカオドリンク”、チョコレートが人気ゆえに続いた100年の論争、そしてチョコレートも工場で作られるようになった産業革命。他にも“18世紀のインフルエンサー”とも言えるマリ・アントワネットにとってのチョコレートの役割など、様々な切り口で歴史と宗教を学べる一冊です。“チョコレート”というちょっと変わった視点から歴史を学び直す『チョコレートで読み解く世界史』をお楽しみください!

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チョコレートで読み解く世界史
『チョコレートで読み解く世界史』(増田ユリヤ/ポプラ社)

断食中にチョコレートを飲んでもいいのか

 王侯貴族や聖職者たちがとりこになったチョコレートでしたが、この貴重な飲み物は、滋養強壮に役立つ薬としての意味合いが強いものでした。美味しいうえに、飲むと元気が出るので、毎日飲みたいと思う一方で、キリスト教徒にとって、難しい問題に直面することになりました。

 それは、断食です。

 断食は、どの宗教にも見られる修行です。キリスト教では、イエスの復活を祝う春のイースター(復活祭)の前の時期に、1日の食事を1回に減らしたり、肉を食べない日を設けたりすることで、イエスの苦難を追体験することを現在でも教えとしています。

 当時の聖職者たちの間では、この断食の時期にチョコレートを摂取していいのかどうかが大問題になりました。昔も今も、断食の期間に全く食べ物を口にしないわけではなかったのですが、食事と食事の間には、飲み物しか口にすることができませんでした。

 断食中は栄養不足になりますから、滋養に富むチョコレートが飲めれば、聖職者たちにとっては好ましいですよね。また、滋養強壮に役立つものという認識でしたから、薬としての性格ももっていました。薬であれば、断食中に飲んでも問題ないというわけです。

100年も続いたチョコレート論争

 チョコレートは飲み物なのか、食べ物なのか、はたまた薬なのか、という論争が巻き起こりました。実際、このころのチョコレートは、まだドロドロとした状態のものだったので、何とも判断ができなかったのです。

 もともとのルーツであるメソアメリカでは飲み物として飲んでいたのだから問題はないとか、砂糖やハチミツなどは水に溶けているから問題ないけれど、カカオはすりつぶして混ぜてあるだけなので食べ物としての性質が変わっていないから食べ物だとか、少しだけ飲むなら問題ないとか、あらゆる角度から議論されました。

 そして16世紀半ば、当時のローマ教皇ピウス5世が、実際にチョコレートを摂取して判断を下しました。

「これは飲み物だから、断食中に摂取してもかまわない」

 しかし、これに対して、カカオは脂肪分が多く、体温を上昇させる作用もあるので「食べ物だ」と主張して、チョコレートを摂取するのはキリスト教の戒律に違反すると主張した医師があとを絶たなかったといいます。

 また、時が経つにつれて、カカオの調理方法も進化し、水のほかに卵やミルクを加えたり、粉末にしたトウモロコシを加えたりといったことも行われていたので、どの調理方法なら「飲み物」また「薬」と言えるのか、という論争がますます複雑になっていきました。

 16世紀から17世紀にかけて、100年もの間論争が続いたこの問題は、「カカオに水を混ぜた程度のものなら、よしとする」という説に落ち着いていきました。

食べたことがないものへの宗教的な躊躇

 なぜ、こんな論争が巻き起こったのでしょうか。これはカカオに限ったことではなく、「コロンブスの交換」でヨーロッパにもたらされたトマトやジャガイモなどの新しい到来品に対しても同様のことが起こったといいます。なぜなら、食べたことがないものを口にすることは、キリスト教の原罪を思い起こさせるからです。

 アダムとイブが禁断の実を食べたことから、人類の罪が始まるということを、何となくだけど知っている、という人は多いのではないでしょうか。この話は、『旧約聖書』の最初にある「創世記」に書かれています。アダムとイブが神の教えに背いて、禁断の実を食べたことが、人類最初の罪である「原罪」です。人間が罪を犯す存在となったのは、この原罪を引き継いでいるからだという考え方ですね。

 この禁断の実はリンゴだとされていますが、食べたことがないものを口にするとき、キリスト教を信じる人たちはこのことを想起してしまい、何か理由をつけないと食べることがためらわれたのです。日本にも「食わず嫌い」などという表現がありますが、初めて見たものを口にするとき、「神の教えに背くことになったらどうしよう」という思いが頭をよぎり、食べるにはきっと勇気がいったことでしょう。トマトなども、青い実が赤く変化することから、最初のうちは観賞用の植物として扱われていたのですから、何とも不思議ですよね。

<第3回に続く>

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