谷崎潤一郎『痴人の愛』が大ヒット。そのターゲットとは?/なぜ働いていると本が読めなくなるのか④

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/24

なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)第4回【全8回】

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者の三宅香帆さんが、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿ります。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作品です。

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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

疲れたサラリーマン諸君へ、『痴人の愛』

 そのようなサラリーマン像を踏まえると、大正末期に出版された『痴人の愛』がヒットした理由もよく分かってくる。

『痴人の愛』は、元はといえば「大阪朝日新聞」の連載小説である。当時の新聞の主なターゲットは、新中間層、つまりは毎日通勤するサラリーマンだった(山本武利『近代日本の新聞読者層』)。だとすれば、「田舎から出てきた真面目なサラリーマンが、カフェで働く美少女を引き取る」というあらすじは、まさに谷崎潤一郎がサラリーマンに向けて書いた妄想物語そのものだったのではないだろうか。

 妄想物語というとやや強引な言い方に聞こえるかもしれない。しかし実際、『痴人の愛』は「読者諸君」と語り手が繰り返し読者を意識するように呼び掛けていたり、さらに挿絵は小説よりも譲治を「イケてるサラリーマン」として(おそらくわざと)描写しているのだ(林恵美子「描写と裏切り―挿絵から読む『痴人の愛』」)。谷崎がものすごく読者を意識している証拠ではないか。

 面白いのが、挿絵に描かれた譲治は、決して田舎出身の冴えない男ではないところ。挿絵の譲治は、タキシードに身を包み、髪はオールバックで、蝶ネクタイが似合う──小説から想起される姿からは、少し、いやかなりかけ離れた、理想版・サラリーマンなのだ。笑ってしまうほど、譲治は格好をつけている。

 さらに注目すべきは、谷崎が「譲治とナオミが出会った時期」として設定したのは1917年(大正6年)。小説連載開始時から7年前のことだった。考えてみてほしい。まさに、第一次世界大戦中の好景気の時代を、谷崎は小説の舞台にしているのだ。

 谷崎の読者サービス、すごい……と感心してしまうのは私だけか。『痴人の愛』の冒頭をひとことで言ってしまえば、「田舎出身の真面目なサラリーマン(しかし絵に描かれた姿はかっこいい)が、まだ好景気だった時代に、カフェで美少女と出会う」話だ。──不景気に疲れたサラリーマンが朝刊で読む小説として、これほど癒やされるものがほかにあるだろうか。サラリーマンという名の疲れた新中間層が読む新聞に『痴人の愛』が連載されていたのは、決して偶然ではない。

 ちなみに、『痴人の愛』はこんな書き出しではじまっている。

 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。それは私自身に取って忘れがたない貴い記録であると同時に、恐らくは読者諸君に取っても、きっと何かの参考資料となるに違いない。

 読者諸君にとっての参考資料に……なるかあ!と、私だったら新聞をぶん投げたくなる。しかしこの書き出しもまた、全国のサラリーマンに向けたものだとしたら、これ以上ない読者サービスではないか。つまり「読者諸君の参考資料になる」とは、「こんなことも、読者諸君の身に起こりうるかもよ!」と言っているに等しい。谷崎のサービス精神がふんだんに発揮されている。

 ちなみに小説などほとんど読まない譲治は、会社をやめたら、「暇な時には読書する」ようになった、という描写がある。……結局、お前も会社をやめたら本を読むようになったのか! と今と変わらない景色にがっくり肩を落としてしまう。

 が、めったに小説を読まない譲治ですら、夏目漱石の『草枕』は読んだことがあったらしい。

私は電気の技師であって、文学だとか芸術だとか云うものには縁の薄い方でしたから、小説などを手にすることはめったになかったのですけれども、その時思い出したのは嘗て読んだことのある夏目漱石の「草枕」です。そうです、たしかあの中に、「ヴェニスは沈みつつ、ヴェニスは沈みつつ」と云うところがあったと思いますが、ナオミと二人で船に揺られつつ、沖の方から夕靄の帳を透して陸の灯影を眺めると、不思議にあの文句が胸に浮んで来て、何だかこう、このまま彼女と果てしも知らぬ遠い世界へ押し流されて行きたいような、涙ぐましい、うッとりと酔った心地になるのでした。

(『痴人の愛』)

 田舎出身のサラリーマンでありながら、『草枕』くらいは読んだことのあるインテリ、譲治。彼はまさに、大正時代の新中間層の憧れを代表するような主人公だった、と言えるのではないだろうか。

 ちなみに『痴人の愛』の掲載媒体は、途中で変更される。「大阪朝日新聞」では、ナオミの過激な性的描写について、良くない顔をされるようになったからだ。検閲当局から注意されたことなどをきっかけに、結局、連載は中断に至ってしまう。だが『痴人の愛』に魅せられた若い男女の間で「ナオミズム」という言葉が流行し、ナオミはとくに若い女性の憧れの対象となる──結果として新聞ではなく「女性」という雑誌に掲載誌を移し、連載は再開されるのだった。

 最初は中年サラリーマン向けの恋愛を描いていたにもかかわらず、結果的に女性の憧れとなっていった『痴人の愛』。それは谷崎が読者サービスから自分の小説世界へどんどん入り込んでいった結果だったのだ。

<第5回に続く>

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