官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第65回】夏乃穂足【お試し読み】『鬼の涙が花だとしたら』

公開日:2014/11/26

 最初に目に入ったのは、大きな満月を背景にして、夜空を舞う桜の花びらだった。

(ああ。一本桜の下に倒れてるんだな)

 夜中に部屋を抜け出して。川で溺れて、それから……。そこまで思い出した瞬間、全身に激痛を覚えた。意識を取り戻したことを後悔するほどの、経験したことのないレベルの痛み。体が関節でバラバラになって地面に散らばっているように感じる。

 濡れた体が痺れるほどに冷え切って、感覚が鈍くなっていなければ、再び気絶してしまったに違いない。その方が楽だとわかっていたが、生き延びるためには気を失ってはいけないと思い、千鳥は、意識の切れ端を必死につかんで引き戻した。

 目を凝らそうとして、恐ろしいことに気が付いた。目が、右目が見えない。そればかりでなく、眼窩を鋭利な刃物で絶えず抉られているように痛む。

 怪我の程度を思って、千鳥は怖くなった。失明したかもしれない。こんな真夜中に、子供一人で沢の奥に入るなんて、自分はなんと考えなしだったろう。もしかしたら、誰にも気づかれずに朝になって、このまま死んでしまうのかも。

(そうだ、父さん。父さんはどこ?)

 首だけを動かして父親の姿を探すと、片目だけの視界に何者かの姿が入った。

 地面に片膝をついた後ろ姿と、月明かりの中で火炎のように鮮やかに浮かび上がる赤い髪が見える。

(シン?)

 最初は、親友が待ち合わせ場所に来てくれたのだと思った。男の広い背中に広がる髪の色や、古びた着物姿が、シンにそっくりだったから。

 だが、筋肉の隆起した逞しい体は完成された大人のものだ。シンはこんなに背が高くはないし、髪もせいぜい肩ぐらいまでの長さで、腰まで届くほど長くはない。

 それより、辺りはこんなに暗いのに、どうしてこの男の髪は、今にも燃え上がりそうなほど真っ赤に見えるんだろう?

 何より異様だったのは、頭部で鈍く光っている二本の「それ」だった。ゆるくカーブを描きながら先端に行くにしたがって尖った、象牙に似たもの。

 あれじゃあまるで、……鬼、そう、昔話の絵本で見た鬼にそっくりじゃないか。

 三日前の晩、父親から聞いたばかりの話が脳裏をよぎる。

 ――千鳥は、鬼が吼えると災厄が起こるという、この村の言い伝えを知ってるか?

 ――昔から、鬼に魅入られる人が出ると言われているんだ。

(まさか。まさか、ね)

 男の足元の、桜の花びらが敷きつめられた川縁の地面に、何か黒ずんだ大きなものが落ちているのが見える。濡れた麻袋かなにかのように見えた、それは。

「ひゅっ」

 千鳥の喉奥から、声のない息が漏れた。

 それは、たぶん千鳥の父親だった。

 たぶん、と言うのは、服装に見覚えがあったからで、顔があるべき場所には目も鼻も口もない。ただ、肉があるだけ。

「……うわあぁぁ――っ!!」

 千鳥が絶叫すると、角のある男が振り返った。日本人離れした濃い色の肌と赤い髪、彫りの深い美しい顔立ちは、親友に瓜二つだ。だが、この男には頭部に角がある。その足元には、無残な骸(むくろ)となった父親が倒れている。

 よく見知っていたはずの現実がぐにゃりと歪んで、悪夢の中に飲み込まれてしまったようだった。

 男が立ち上がり、千鳥の方に近づいてくる。

「くっ来るなっ。助けて、誰かっ、助けて!」

 昼間でも滅多に人が入らない沢で、ましてやこんな夜中に必死の叫びが届くはずもない。逃げようにも、怪我が酷くて体が動かせず、かぶりを振るのが精いっぱいだ。

 異形の男の手が、千鳥の方に伸ばされる。その指先からは、おそらく千鳥の父親のものであろう鮮血が滴っている。

 その時、顔の真上にかざされた男の手首に、千鳥格子模様のハンカチが巻かれているのが見えた。ハンカチにも、新しい血が飛び散っている。

(これは……!)

 最初に会った日、唇の端を切って血を流していたシンに、千鳥がやったハンカチだ。自分を嫌う相手から殴られたのだと言葉少なに話すシンの様子にシンパシーを覚え、急速に惹きつけられた。

 それ以来、二人の友情の証としていつもシンが手首に巻いていた。

 顔を剥ぎ取られた父親。指先から垂れ落ちる血。血塗(ちまみ)れのハンカチ。ただでさえ冷え切っていた体が、手足の先から凍りついていくようだった。

 それでは、この角のある怪物は。千鳥の父親を殺した相手の正体は。

(シン、なのか? シンが、父さんを。なんで。どうして?)

 シンが好きだった。

 今思えば不思議なところがいくつもあったけれど、たとえシンが何者でも受け入れられる気がしていた。苦しいほど好きで、シンとなら何も怖くないと思っていた。

 信じていたのに。世界中の誰よりも、シンを信じていたのに。

 初めて知った、幼いがゆえにひたむきな想い。心の限りで慕っていた親友への信頼が、その瞬間、胸の奥で粉々に砕け散った。

 千鳥がかけがえのない友情だと信じたものは、偽物だった。唯一無二の親友だと信じて、柔らかいまま真心を差し出した相手はバケモノで、殺人鬼だった。

 自分が騙されて、言いつけを破ったばかりに、父親が殺されてしまった――。

「いいか、千鳥。私のことは、決して人に話してはいけない。親兄弟にもだ」

 鋭く尖った長い爪が、千鳥の顔の上にかざされた。辺りを舞う花吹雪はますます激しさを増し、男の姿が煙って見えないほどだ。

「い、言わない、言わないからっ」

 だから、それ以上近づかないで。

 血に染まった爪の尖った先端が、今にも睫毛に触れそうな位置まで迫って来る。最悪の想像が現実になろうとしていた。

(まさかそんな。嫌だ。やめてくれ)

「嫌……やだ、やめてっ!」

 爪先が、容赦なく見えない方の右目へと突き立てられる。

「ひ、いやああぁぁああ――――!!」

 抉り出される。神経の束を直接引きちぎられる。想像をはるかに凌駕した、到底耐えきれない苦痛――。

「そなたは永久(とわ)に私のもの。命尽きるまで、放しはしない」

 呪いのような言葉が、頭蓋の中で反響している。千鳥はとうとう、混濁した意識を手放した。

 

 

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