『働くおっぱい』第1回「7年目のAV女優」/紗倉まな

エンタメ

更新日:2018/11/20

 AVの撮影現場は、肉棒という刀に狩られる戦場である。…と、私は思っている。

「平成生まれの新人類」が昭和世代を脅かし、魔法のようなメイクテクニックや容姿改造法が溢れ、美女がデフレ化するこの時代。

 私は幸か不幸か、そんな時代に、芋女のまま(もれなく根っこまで付いています)、加えて“性”という奥深いものにも無知で無頓着なまま、思い切ってAV女優になってみた。

 女の子はなんにでもなれるけれど、その分、なんにでも苦労してしまう一面があって、つくづくしんどく、その上面倒くさく、時々「女」という着ぐるみをいっそのこと脱ぎたくなるような衝動に駆られる。

 生まれながらに大変な性に就いてしまったことは百も承知なのに、わざわざ苦労や葛藤を手繰り寄せるように戦場に向かいたくなってしまうのって、涙が出るほど馬鹿げているのだけど、もう、なぜでしょうか。気が付いたら「都立しゃぶりながら高校」という作品をリリースしているのも、なぜでしょうか。

 

 これ、人間の中にこっそりと秘められている“変身願望”という箱をパカっと開けてしまったことによるものだと思うのですが、私がまんまと箱を開けて出てきた“AV女優”というのは、いろんな意味で驚きの嵐だった。

 とりあえず、アダルト畑をざっと見渡してみると、色鮮やかでスレンダーで瑞々しい西洋野菜たちが、ヒールを履いてスタスタと歩いている。…あの。スティックセニョールさん。どういう肥料を使ったらそんなに足が長くなるのですか? マジで同じ野菜ですか? ロマネスコさんは、なぜそのような見事なまでのチャーミングなお姿に? しかも、各々がおいしい味までしっかり持ち合わせているという、恐ろしいほどの完成度。とんだ女社会に迷い込んでしまった…と呟き、フラッと眩暈。

 豊かな畑は時に残酷に、芋を刺激していく。

 

 それはそうと、私は18歳からこの仕事をしていて、恥ずかしながら就職という経験がなく、“土の中の芋 大海を知らず”のまま過ごしてきた。周りの友人や知り合いから日常話を聞くと、小さなことから大きなことまで発見がとても多い。「上司がさ~」のくだりも、社内で起きた話も、細々とえろ屋をやっている私からしてみたら全員が全員、“ものすごく立派な大人”に見えて、「苦しいのだろうけれど、その生活もまた羨ましい」などと勝手ながら思ってしまうのであります。

 昔、学校のインターンで、二か月くらい空港の滑走路の整備点検をしたことがあった。夜も深まったころ、だだっぴろい滑走路をひたすら点検車で回り、離発着によって生まれたアスファルトの轍掘れ(※滑走路走行部分に縦断方向に連続して生じた凹凸)を確認したり、メロンパッチという補修材を流し込むという作業をさせてもらって、とても楽しかった。

 だけれど、夜の海を渡っているような、ゆるやかに感じられる時の流れが睡魔を呼び寄せ、「夜勤とか超大変なんだね…」と隣に座っていた友人が小声で呟き、点検車の中で白目を剥きはじめた。やる気はある、しかし眠い。重い瞼と必死に格闘しながら、気づかれたらどうしようとドキドキしていたけれど、運転していたお兄さん(あの時の私には伊藤英明さんに見えた)が、「超、ねみ~よね。わかる。でも、夜の滑走路って、めっちゃ綺麗だよね」なんてまた笑いながら格好良く言うもんだから、違う意味でもドキドキしたんだった。

 遠方のイベントがあって、その空港を利用するたびに、あのときのことが浮かんできて、ときどき、ひどく切ない気持ちに駆られる。記憶の中で、ロメンパッチや点検車が淡い青春として濃く刻まれているのは、お兄さんへと抱いた瞬間的なときめきだけではなく、あの夜の自分は、なりたくてももう二度となれない姿であり、二度となれない“理想の社会人”という姿でもあったからだと思う。だからこそ、ずっと美しく滑走路が輝き続けているのかもしれない。

 

 ところで、AVの撮影現場は基本的に現場が朝の8時からスタートする。撮影が終了するのは、深夜1時~2時は超絶当たり前、どれだけ動いても、まぁなかなか帰れない。

 21時を越えたあたりからスタッフさんの目が次々に曇り始め、キットカットに伸びる手が止まらなくなる。「やまない雨はない」という言葉の延長に生まれた「終わらない現場はない」というポジティブフレーズを心の中で復唱し、大欠伸をスタジオ内で合唱させ、気が付けば大量のキットカットがなくなっている。次はアルフォート。次は柿の種。どんどん袋が開けられていく。

 そして23時。現場にあったお菓子、全滅。

 肉の刀が振り下ろされるたび、大汗をたらしながらの、サーカスのような派手なセックスを終えると、一生分の性を消費したような疲労感と妙な達成感が訪れる。身体の変な部位までもが筋肉痛になり、その姿はまるで、生まれたての小鹿を砂利道で無理やり歩かせているような、やばいほどのおぼつかなさ。そして私は現場からひっそりと持ち帰ってきたマカダミアナッツをむさぼって、爆睡する。それでも、寝付けない夜よりは格段に好きだ。

 懸命にノートをとるために握っていた“ペン”が“男性器”に変わり、どの言葉を聞いても下半身に付随する卑猥なイメージへ変換する機能も搭載された。戦場は違えど、「戦う=働く」であるとすれば、セックスを見せる仕事だなんてその行為自体はとてつもなく異常だけど、肉棒と「戦っている」し、きっと「働いている」のである。おっぱい(所得)税も納めているし、だから、やはり、きっと、「働いている」のである。確定申告が面倒くさくて嫌いなことだけが、社会人の友人との共通言語だなんて、まぁちょっと、寂しいもんですが。

 

 日本に存在する「職業」は1万5000以上といわれる中で、“何屋”を自分で選ぶのか、そして時として“何屋”に選ばれるのか……。その選択肢が多くなるほど、迷いや葛藤も多様化し、しかしながら同時に、どこか頷き合える共通項があるのではないか。

 そんな思いで始めたこの連載では、決してポピュラーではない“えろ屋”を選んだ私が「働く女性」をテーマに、女性が働く雰囲気の片鱗を、少しだけ(おっぱいは丸出しですが……)お見せできたらなと思っております。

 それにしても、働くおっぱい。今更ですが、最高にいいタイトルだと思いませんか。

 自著『最低。』『凹凸』の担当編集でもあるKさんから、新連載の仮タイトルとしていただいた題名なのですが、「働く」と「おっぱい」だなんて、一度聞いたら絶対に間違えることも、これ以上に略すことも不可能な秀逸な言葉の組み合わせ。

 働くおっぱい。この、殴りつけてくるような重い衝撃を持ったパワーワード感。切れ味のいい日本刀のような鋭ささえ感じてしまう。働くおっぱい。私の心の中で、すでに絶賛の嵐である。Kさん、拍手喝采スタンディングオーベーションですよ。タイトルって、子供の名前をつけるくらいに大事ですね。

バナーイラスト=スケラッコ

執筆者プロフィール
さくら・まな●1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に瀬々敬久監督により映画化された初小説『最低。』、『凹凸』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』、スタイルブック『MANA』がある。

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