猫店長が器用に直したストラップ。そこでよみがえる彼氏のひとこと/『お直し処猫庵』⑤

文芸・カルチャー

2019/12/10

悩める皆さま、猫店長にそのお悩みを打ち明けてみませんか? 日常のちょっとへこんだ出来事や小さな悩み、だけど自分にとっては大切なことを、猫店長が解決? 案外泣けると話題のちょっと不思議で幸せな物語集。

『お直し処猫庵 お困りの貴方へ肉球貸します』(尼野ゆたか:著、おぷうの兄さん(おぷうのきょうだい) :イラスト/KADOKAWA)

「物は試しだ。やってみい」

 店長が重ねて勧めてくる。仕方なしに、由奈はコーヒーに口を付けてみた。

「――あ」

 甘み一色だった口の中に加わる、ほろ苦さ。ずっと苦手だったはずの刺激が、まったく違う横顔を見せてくる。

「おいしい」

 生まれて初めての経験だ。ブラックコーヒーが、美味である。

「何事も調和だ。各々の特徴というのは、交じり合えば新しいものを生み出す」

 そう言うと、店長はバターサンドを手に取って包装を剥がし、パクリと食べた。猫の手でできる作業ではないはずだが、店長は軽々とこなしている。

「なるほど」

 由奈は頷く。甘いものでたっぷりになった口の中に苦いコーヒーを含んだ時、それはただ苦いだけではなくなるということなのだろう。甘みと苦み、両極端な味わいが新しい境地をもたらすのだ。

「さて、修理に取りかかるとするか」

 店長が、由奈のストラップと外れてしまった紐とを並べてカウンターに置いた。

「やっと店長のお喋りタイムが終わりましたね。すいません、お付き合い頂いて」

 お菓子の包装を片付けながら、青年が笑う。

「いえ、そんな。面白かったです」

 由奈は手を振った。社交辞令ではない。実際に、店長の話は興味深かった。何か、とても大切なことを言われたような気がする。

「よかったですね、店長。優しいお客さんで」

「やかましい」

 青年がからかうと、店長はぷいっとそっぽを向いた。

「減らず口はいいから、カニカンとヤットコをよこせ」

「はいはい」

 青年は、カウンターの向こうから小さなビニール袋を取り出した。ビニール袋の中には、更に小さなものが沢山入っている。

「まず、カニカンですね」

 それは、由奈が壊してしまった金具だった。ぽちっとした突起を押し下げると開く、あの部品である。名前があるとは知らなかった。

「こういうのって、手芸屋さん行ったらバラ売りされてるんですよ。百均にもあるかな」

 まじまじと見る由奈の視線に気づいたか、青年が説明してくれる。

「ちなみにカニカンっていうのは、形が蟹のハサミに似てるからなんですよ」

「なるほど」

 由奈は頷いた。言われてみると、確かにそんな雰囲気がある。

「で、こちらがヤットコですね。平ヤットコという種類のものです」

 続けて青年が取り出したのは、ペンチを小さくしたような道具だ。おそらく、ペンチよりも細かい作業に向いているのだろう。

「どうぞ」

 青年は、カニカンの袋とヤットコを店長の前に置いた。

「うむ」

 店長は重々しく頷くと、まずストラップ本体とヤットコを手にする。――そこからの流れは、実に滑らかだった。

 ヤットコを使って、本体の金具から壊れたカニカンを取り外し、新しいものと交換する。続けて新しいカニカンの突起を押し下げ、紐の先端に付いている輪っか状の金具を通す。

「よし、完了だ」

 通し終えると、店長はそう言った。

「すごい」

 思わず、感嘆の声が出てしまう。

 手順で言うと二つ三つだし、(由奈が言うのも何だが)そんなに難しいことをしているわけでもない。

 圧倒的なのは、その手際の良さだ。無駄なく、手早く、丁寧。一流の板前の包丁さばきにも通じる、徹底的に磨き上げられた滑らかさである。

「まあ、この程度の修繕は赤子の手を捻るより容易いわ」

 店長が、両の前足を腰に当てて胸を反らす。

「そうですか? 店長と人間の赤ちゃんが戦ったら店長の方が捻られそうですけど」

 えっへん、みたいな感じの店長に、青年がすかさずおちょくりを入れた。

「なにー! 武士に対して何たる侮辱! 童、そこになおれ!」

「なおりません。店長はお直ししててください」

 わあわあと騒いでいる一人と一匹はさておいて、由奈は自分のスマホとストラップとを眺めていた。これで元通りだ。なのに――気持ちが晴れない。

『そのストラップ、やめた方が良くない? 子供っぽいよ』

 克哉の言葉が蘇る。ああ、そうだった。ストラップが直ってもダメなのだ。この一言が由奈の気持ちを錨のように固定して、どこへも行かせてくれないのだ――

「お主、何をふさぎ込んでおる」

 いきなり店長に声を掛けられ、由奈ははっと顔を上げる。

「なんだ、仕上がりが気にいらんのか」

 いつの間にか、また店長は由奈の隣の椅子に座っていた。つぶらな瞳で、由奈とスマートフォンとを見比べている。

「いえ、違います。そうじゃないです」

「ではなんだ」

 店長はなおも聞いてくる。しかし、どう答えればいいのか分からない。由奈はうつむく。

 いつものパターンだ。自己主張ができなくて、第一何を主張したいのかがよく分からなくて、そもそも主張したい何かがあるかもはっきりしなくて、ただ黙っている。相手は持てあますか、自分のしたいようにするかの二択になる。そんなパターン。

「ふむ」

 ――しかし。今回は、違っていた。

「言うておくがな、女。『何を言いたいか分からない、と言いたい』『言いたいことがあるのかないのかわからない、と言いたい』というのも立派な『言いたいこと』なのだぞ」

 胸の奥を、どんっと突かれたような感覚。

「どう、して」

 動転する。なぜ、店長は由奈の心の中が分かったのか。

「ふふん。これでも長年生きておるのでな、人間の心の機微も多少は見通せるのだ」

 店長が、得意げに言った。青年も、茶々を入れず黙って聞いている。

「一旦、自分の内にある言葉を出してみてはどうだ」

 店長は、由奈を見つめながら話を続ける。

「えあこんのふぃるたーを掃除するようなものだ。何かが引っかかって詰まっていたままでは動きも悪くなるし、吹き出してくる空気も奇麗ではなくなる。一度整理して、掃除して、すっきりしてみるのだ」

 店長の言葉は、とても胸に落ちる。心の中でこり固まり、へばりついて取れなかった何かが、ふわりと剥がれ始める。

「実は、わたし」

 それらを言葉にしようとして、

「わたし」

 店長たちに伝えようとして、

「わたし」

 由奈は何も言えなくなった。別に、感極まって泣きそうになっているとかそういうことではない。剥がれたものが一気に押し寄せてきて、かえって詰まりを起こしてしまったのだ。屋内で火事が起きると、パニックになった人たちが出口に殺到してつっかえて誰も出られなくなるというが、そんな感じに近い。

「そう、焦らなくてもいいですよ」

 青年が言うが、それは違う。ただ、上手く話せないだけなのだ。どうすれば伝わるのか。

「ふうむ」

 店長が、少し考える様子を見せた。

「お主、落ち着くための習慣とかはないのか」

 そして、そんなことを聞いてくる。

「落ち着くための、習慣?」

 戸惑う由奈である。混乱していることもあってか、言葉の意味が分からない。

「好きな音楽を聴くとか、何か食べるとか。そういうものだ」

 店長が補足した。

「何かをいじる、というのもありますかね?」

 青年が訊ねる。

「うむ。毛先を触ったり、ボールペンの芯を出したり戻したりするのもそうだな」

 店長は頷いた。

「はたから見ていると落ち着かなく見えるが、意外とそうすることで冷静さを保つ助けにしていたりするものだ」

「何かを、いじる」

 由奈は呟く。何か思い出しそうだ。そう、それは――

「――あっ」

 息を呑む。ないこともなかった。中学校の頃の、淡い思い出。

「わたし、もしかしたら――猫を触りながらだと、話せるかもしれません」

<第6回に続く>