前足でコーヒーを飲む猫とイケメンに接客されてる…! なんだコレ/『お直し処猫庵』④

文芸・カルチャー

2019/12/9

悩める皆さま、猫店長にそのお悩みを打ち明けてみませんか? 日常のちょっとへこんだ出来事や小さな悩み、だけど自分にとっては大切なことを、猫店長が解決? 案外泣けると話題のちょっと不思議で幸せな物語集。

『お直し処猫庵 お困りの貴方へ肉球貸します』(尼野ゆたか:著、おぷうの兄さん(おぷうのきょうだい) :イラスト/KADOKAWA)

 唇の端を上げるようにして、店長が笑う。本来はかなり皮肉っぽい表情なのだろうが、何しろ猫なので可愛く見えてしまう。

「これもさあびすというヤツだ。ほれ、話してみい」

 店長が促してきた。

「えっと」

 そう言われても、困ってしまう。由奈の頭の中で、無数の疑問が入り乱れる。どれについて訊ねればいいのか。

「ほれ、ほれ」

 店長はどんどん急かしてくる。

「カニカン、持ってきましたよ」

 ドアが開いて、青年が戻ってきた。何を言われたわけでもないのに、余計にプレッシャーが高まる。

「あの、その」

 由奈の混乱は遂に頂点に達し、

「猫庵(ねこあん)って、どういうお店なんですか?」

 口からそんな質問が飛びだした。これが一番聞きたかったことなのかと言われると、そうでもない。福引きのガラガラみたいなものだ。ぐるぐる回っていた中身が、ランダムに一つぽろりと出てきたのである。

「ぶっ」

 瞬間、青年が吹き出した。

「いやあ、またですね店長。だから言ったじゃないですか、無理があるって」

 笑いながら、青年は店長の頭をぺしぺし叩く。

「うむ、むむむ」

 店長は、ひどく不満そうに呻いた。

「えっと、その。わたし、なんか変なこと聞きました?」

 由奈は戸惑う。割と当然な疑問なはずだ。外の看板には「お直し」云々と書かれていたのに、入ってみるとカウンターがあって、和カフェ感が醸し出されていたり猫が喋ったりしている。不思議に思うのが自然ではないだろうか。

「いえいえ。店長がご不満なのは、店の名前なんですよ」

 なおも笑いながら、青年が言う。

「猫庵じゃないんです、この店。実はあれ、猫庵(にゃあん)って読むんですよ」

「にゃあん」

 オウム返ししてしまう。これはまさかの読みだ。そうくるとは思わなかった。

「ええい、ひょうげてみたのに分からぬとは。まったく」

 何やら、店長がぷりぷりと怒る。

「ヒョーゲルってなんでしたっけ? ドイツか何かの貴族ですか? ヒョーゲル男爵的な」

「そんなわけがないだろう! 剽げるというのは、すなわちおどけて冗談をいうことだ! すまほで調べてみい、すまほで!」

 二人の掛け合いから総合してみるに、猫庵という名前は店長のユーモアセンスに基づいて命名されたものであるらしい。ぷんぷん怒っている店長には悪いが、心の中で一言。初見でそれは無理です。

「そもそも、どんな店かという質問もないものだ。外の看板にしっかり書いてあるだろう」

 カウンターに頬杖をつきながら、店長がぶつくさ言った。

「いやあ、分かんないでしょ。お直しって言われても、中々ぴんと来ませんよ。――さて、お湯が沸きましたね。もうすぐですよ」

 青年が、コーヒー豆を挽き始めた。素敵な匂いが立ち上る。ふわりとした、どこかドキドキするような香りだ。

 由奈は、改めて青年のことを観察する。少しくせのある髪の毛に、切れ長の瞳。細めの体つきを、春物のシャツと猫が描かれたエプロンに包んでいる。喋る猫のインパクトでずっと気づかなかったが、これは相当の男前である。

「はい、どうぞ」

 青年が、由奈と店長の前にコーヒーカップを置いた。由奈が見とれている間に、淹れてくれていたらしい。

「ふむ」

 店長はコーヒーカップを手に取り、顔の前まで持っていった。

「まあまあだな。少しは上達したか。違和感のない香りを出せるようになってきておる」

 店長がコーヒーを評価する。由奈に言わせれば違和感だらけである。猫が前足でコーヒーカップを持つのも奇妙だし、そもそも猫がコーヒーの香りを楽しむという行為自体が自然の摂理に反している。猫の嗅覚は人間の何十万倍とも言われているのだ。挽き立ての豆で淹れたコーヒーなど、匂いが強烈すぎて嗅いでいられないはずである。

「どうぞ、召し上がってください」

 由奈が困惑していると、青年がコーヒーを勧めてきた。

「あ、はい」

 慌てて、由奈はコーヒーに口を付ける。間近で流れ込んでくるふくよかな香り、そして口から入り込んでくるコーヒーの味わい――

「――うぶっ」

 由奈はむせた。このコーヒー、ブラックだ。由奈には飲めないものがいくつかある。ビール、生姜湯、そしてブラックコーヒーである。苦いとか辛いとか、そういう刺激を舌に強いる味覚が苦手なのだ。

「うつけめが」

 店長が、青年を見て鼻を鳴らした。

「相手にふさわしい飲み物を、心当てて――すなわち推測して出すのが茶の湯の道であるぞ。まだまだだな」

「すいません。ブラック、お好きかなと思ったんですが」

 青年が謝ってくる。

「いえ、いえそんな」

 ブラックが似合う大人と思われたのを喜ぶべきか、ブラックなんて苦くて飲めないおこちゃま味覚がバレたことを恥ずべきか。そんな難しい問いに由奈が直面していると、

「しばし待つがよい」

 店長が椅子から降りて歩き出した。先ほどの青年と同じルートを通ってカウンターの中に入り、その姿は見えなくなる。

「よっと」

 何かの台に乗ったのか、店長がカウンターの向こうからひょこっと顔を出す。

「ほれ」

 両手を万歳の状態に掲げ、上にお盆を載せている。持ち上げることに成功したウェイトリフティングの選手か、さもなくばサザエさんのオープニングで果物の中から出てくる時のタマみたいな姿勢だ。

「これを食べよ」

 店長が、お盆をカウンターの上に置く。お盆には、お菓子が載っていた。

 お菓子は掌サイズの長方形で、一つ一つが個包装されている。それぞれの袋は赤地に金色の模様があしらわれていて、中央には「バ成タ」と書かれている。どういう意味だろう。

「バターサンドですね」

 お菓子を見た青年が、なるほどというように頷く。

「バターサンド?」

 由奈は目をぱちくりさせた。あまりお菓子には詳しくないのだ。由奈にとって、お菓子とはスーパーで買うか休み明けにお土産でもらうものでしかない。

「正確には、マルセイバターサンド。北海道のお菓子会社である六花亭の主力商品だ。北海道土産の定番でもある」

 店長が、説明してくれた。言われてみると、成の字は円で囲われている。これがマルセイで、両脇のバとタはバターということなようだ。

「どういうお菓子かは、食べてみるとよく分かるぞ」

 そう言って、店長は両の前足を腰に当てた。

「あ、はい」

 言われるがままに、由奈はお菓子を手に取った。

「あれ?」

 そして、由奈は戸惑う。どこから開ければいいのだろう。

「後ろですよ」

 それに気づいたのか、青年が教えてくれた。

「後ろですか」

 ひっくり返すと、裏に切れ目がある。破ってみると、手先が無器用な由奈でも簡単に開けられた。

 中から出てきたのは、名前の通りのサンドだった。とは言っても、いわゆるサンドイッチの類ではない。挟んでいるのは食パンではなく茶色のビスケットであり、挟まっているのは卵ではなく白っぽいクリーム的な何かだ。クリーム的な何かの中には、濃い紫色の何かが入り交じっている。

 手触りはややしっとり気味。みっちり詰まっていて中々重量感がある。由奈は、そっとかじってみた。

 手触り通りの柔らかい食感。ビスケットといっても、ポケットを叩くと増殖するようなパキパキした感じではなく、もっとホクホクしている。

 続いて、中に挟まれているものが染みだしてきた。バターの風味を漂わせた実に濃厚な甘みが、あっという間に口の中に広がっていく。なんだこれは――素晴らしい!

 もう一口かじる。濃い紫色のものが、バタークリームと手を携えて乗り込んできた。ああ、これはレーズンだ。輪郭のはっきりしたまったく違うタイプの味わいが、新しいハーモニーを生み出し舌をとろかしていく。

 もう一口、もう一口。そうこうしているうちに、バターサンドはなくなってしまった。

「おいしいですか?」

 青年が微笑みながら聞いてくる。

「はい、おいしいです!」

 中学生の英語の教科書みたいなやり取りである。「アーユートム?」「イェス、アイアムトム」という感じのあれだ。しかし致し方ない。あまりに美味しすぎて、語彙がまるごと吹っ飛んでしまったのだ。一個では止まらない。もっと味わいたくなる。

「まだまだある。食べるとよいぞ」

 前足でお盆を押して、店長が勧めてくれる。

「そういえば、こういうお菓子を作ってるお店って他にもありますよね」

 青年が顎に指を当ててそう言うと、店長が頷く。

「有名なのは小川軒だな。小川軒は暖簾分けなどでいくつかの店舗に分かれていて、それぞれ名前も味わいも異なっている。食べ比べるのも楽しいぞ」

 こんなに素敵なものが他にもあるなんて。お菓子って凄い。胸を打たれながら、由奈はバターサンドを食べまくる。

「そう焦るな。そろそろコーヒーを飲んでみよ」

 店長が、そんなことを言ってきた。

「えっ」

 由奈は怯む。折角お菓子でほわほわしているのに、無骨なブラックコーヒーの侵入を許さねばならないのか。

<第5回に続く>