「産んだはいいが、金あんのかよ?」叔母の彼氏は、薬物中毒者で収監中。『里奈の物語』③

文芸・カルチャー

更新日:2020/1/13

物置倉庫で育った姉妹(里奈と比奈)は、朝の訪れを待ちわびた。幾つもの暗闇を駆け抜けた先に、少女がみつけた希望とは―。ルポ『最貧困女子』著者が世に放つ、感涙の初小説。

『里奈の物語』(鈴木大介/文藝春秋)

 1992年、この伊田桐の街で里奈は生まれた。ただ、里奈のママの高橋幸恵は、実の母親ではなくて、正確にはオバさんだ。それは幸恵から何度も言われたし、里奈がママと呼ぶと幸恵は里奈をバシバシ叩く。別に呼び方を変えたとしても、それが幸恵ねえでもオバさんでも、ママはママだから関係ないと里奈は思っている。

 里奈の本当の母親は、幸恵の2歳年下の妹だった。父親は誰だかわからない。だが母親はまだ乳離れしたばかりだった里奈を、まだ21歳だった幸恵に押し付けて、この街から出奔した。出奔ついでに、勤めていたパチンコ屋の売上金を盗んで逃げたが、姉である幸恵が百数十万円の弁済を背負うことで、警察に被害届を出さないで済んだらしい。

 もちろん7歳の里奈に、そんな大人の事情はわからないし、里奈に小さなころの記憶はあまりない。妹の出奔以来、幸恵は昼は街道沿いに出来たばかりの大型自動車用品店で働き、夜はパブで深夜まで働き詰めに働き、その間の里奈は幸恵の友達の親やパチンコ屋の換金所の隙間など、方々をたらい回しに預けられていた。

 そんな里奈にとって、最も鮮烈な記憶は、なんと言っても比奈の誕生だ。その日のことを、里奈は何度も何度も思い出す。そして思い出すたびに、顔が緩む。

 ある日、しばらく幸恵の友達の部屋で面倒を見てもらっていた里奈の元に、突然比奈は現れた。幸恵に抱かれた比奈は、それはそれは小さくて、ひとつひとつの仕草が可愛らしくて、里奈は嬉しすぎて少し変になってしまい、部屋の中を駆けずり回った。

「ママ! 妹なの⁉ 名前は? あたし里奈だから比奈ちゃんがいい! りなひな!」

 そうはしゃぐ里奈を捕まえると、疲れ果てた表情の幸恵はさらに表情を固くして、少し強めに里奈の頰を張った。

「あんたもわかんねえ子だな! おめーはあたしの子じゃないって何度も言ってんべに! あたしはオバさんだ。この子は従妹! あんたもこの子が生まれたんだから、あたしのことママって呼ばないで、幸恵ねえさんって呼びなさいよ」

 強い口調だったが、幸恵が里奈を叩くのも怒鳴るのもいつものことだから、里奈にとっては妹を得た喜びの方が勝った。叱られたのが全く響かないように、小さな妹の額に自分の額をぴったりくっつけてその手を握る里奈に、幸恵も眉を寄せながら苦笑するしかない。

 すやすやと眠る妹に里奈が見とれている間、里奈を預かっていた部屋の主である友人と幸恵は、なにやら難しい顔をして大人の話をしていた。

「幸恵ちゃんあんた、どうすっかい。産んだはいいが、金あんのかよ?」

「ねえよ。でも育てるしかねえさ。彼氏、箱ん中だし、あいつ出て来て子どもどこやったって騒ぐかもしれねえが」

「あんな常ポン、捨てっちまえばいいに。出て来たって、子どもなんか邪魔にするだけじゃねえんかい。どうせまたすぐ捕まるに決まってんさ」

 常ポン、即ち覚せい剤常習者。幸恵の彼氏は薬物中毒者で収監中で、生まれたばかりの妹はその男との間にできた子ということだが、やっぱり里奈に大人の話がわかるはずもない。

「ママ!」

「だからママじゃねえっつってんだが!」

「幸恵ねえ! ありがとう‼」

「…………」

 ママはママじゃないというけど、ママはママだし里奈はママが嫌いじゃない。なんといってもママは凄い。ヤバい。里奈に妹を作って来てくれたのだ。

 想定外にありがとうと言われた幸恵は眉間にしわを寄せて微妙な表情で黙り込んでしまったが、里奈はずっと静かに眠る妹のそばで、そのあまりにも小さな手を握りながら、これまで感じたことのない充実感に満たされていた。

 この日、小さな小さな妹の名前は、里奈が名付けたとおり比奈になった。

<第4回に続く>