ママの店は、男たちが風俗店に行く前の待合室でもあり、“ノミ屋の窓口”でもあり…『里奈の物語』⑦

文芸・カルチャー

2020/1/17

物置倉庫で育った姉妹(里奈と比奈)は、朝の訪れを待ちわびた。幾つもの暗闇を駆け抜けた先に、少女がみつけた希望とは―。ルポ『最貧困女子』著者が世に放つ、感涙の初小説。

『里奈の物語』(鈴木大介/文藝春秋)

 その日、中心気圧9‌0‌0ヘクトパスカル前半、最大風速45メートル/秒という非常に強い台風は、九州地方に上陸後、西日本をゆっくり横断。高潮と相まって大きな被害を出していた。里奈たちの住む伊田桐市もまた、昼頃から降り始めた雨がほんの1時間ほどでたらいをひっくり返したようなような暴風雨だ。

 幸恵の勤めるパブスナックは安普請で、強風が吹くたびに壁に叩き付けられる大粒の雨音が、バラバラとまるで小石でも投げられているかのようだった。

「こんな天気じゃ客もくそもねぇがん」

 店長兼ママさんの志緒里さんが毒づく割に、カウンター10席にボックス20席ほどしかないパブスナック店内は結構な人の入りである。と言ってもその面々は付近の飲食風俗店のスタッフばかりで、あまりの大雨に早々にその日の営業を諦めて集まってきたという次第だった。

 そんな客層だから、志緒里ママもずいぶんと砕けて、客のボトルを勝手に開けながらの接客だ。背筋の伸びた長身に、ちょっと派手すぎるけれど薄暗い店内に映えるメイクが、切れ長の鋭い目を鮮やかに彩る。そこそこお値段のしそうなスカートスーツの胸元の深い谷間を羽織った割烹着で台無しにしながら、カウンターの中でバタバタと立ち働く志緒里は、そこにいる客たちにとっての高嶺の花とお母ちゃんを両立させるという荒業に成功していた。

「ったく、うちは避難所じゃなかんべよ」

「つってもこの辺でそこそこ美味ぇ飯作ってくれんの志緒里ママんとこぐれーだからな」

 そんなことを言う若い同業の男たちに、志緒里ママもまんざらではない顔。確かに志緒里ママの店は正しくパブ「スナック」で、軽食とは言ってもレトルトや冷凍食品は極力使わずに作り置きもあまりしない方針だし、糠漬けやキムチまで自前で作っているぐらいだった。

「やっぱあれかね、期限切れのうどん使ってるからこの焼うどんはこんなうめぇんかな」

 顔に大きな縫い疵のあるパンチパーマがうどんをすすると、

「おめぇそれは企業秘密さねえ」

 と志緒里が返す。そんな〝夜職〟に生きるもの同士の軽妙な掛け合いと連帯感が、カウンターの裏でやっぱり志緒里ママの作ってくれた焼うどんを食べる里奈の耳には心地よい。横では器用にフォークを使うようになった比奈が、紅ショウガを丹念に皿の端によけながら、上機嫌に鼻歌を歌っている。

 すかさずその紅ショウガを自分の皿に移動させつつ、自分の皿の玉ねぎを比奈の皿に移す里奈に、比奈はくすくすと笑った。

 4歳児は天使なんて言葉があるらしいが、その前段として訪れる3歳児の「悪魔のイヤイヤ期」なるものも、比奈には訪れなかった。いや、確かにそれはあった。ただし里奈以外には誰にでも金切り声を上げた比奈が、里奈にだけは笑い声しか上げなかったのだから、里奈としては比奈が今以上に可愛くなったら本当にどうすればいいのかわからない気分だ。

 あまりの可愛さに耐え切れなくなった里奈が比奈の頭を抱え込んで額を齧ろうとすると、比奈はゲラゲラ笑って口の中のものをこぼす。

 タタタタンと小気味良い音できゅうりの糠漬けを切りながら、志緒里ママの目はそんな姉妹をしっかりと見守っていた。

「里奈、妹齧ってどうすんだ。っていうかこっそり玉ねぎよけんな」

「でも玉ねぎ不味ぃさね!」

「変な子だい。玉ねぎ嫌えで紅ショウガが好きなんかい」

「紅ショウガさ入ってねぇ焼うどん、焼うどんじゃねえって幸恵ねえが言ってたが」

 やり取りを聞いていたカウンター席の男が野太い声で、

「なんだ里奈、おめぇいつから幸恵のことそんな呼び方するようになったんだ?」

 と聞くと、里奈は眉をひそめながら、

「前からさね。あたしはママじゃねぇから幸恵ねえさんって呼べってしつこいからね。幸恵おばちゃーんって呼んだら、あたしはまだおばちゃんじゃねえっつってぶっ叩くんだが。ほんっと幸恵は難しい女さね」

 どこで覚えたのか、小学2年生にしては大人びた里奈の言葉に思わず爆笑する男たちは、その多くが里奈の生まれる前からの幸恵の知り合いで、里奈のことも、里奈が母に捨てられた事情も含めてすべて知っている馴染みだ。

「志緒里さん、里奈に座布団1枚」

「あいよ里奈! 座布団1枚入ります!」

 志緒里ママに振られた里奈が、

「座布団チャージは1枚5‌2‌5‌0円だよ」

 とお決まりの台詞で返すと、

「ぼったくりさね‼」

「税込みかい!」

 と再び男客たちの爆笑が渦巻く。

 つけっぱなしのテレビからは、繰り返し報道される東海地方の風雨災害。災害級の嵐がもたらす妙な高揚感に、店の面々は妙にハイテンションだった。

 この天気ではどこも商売にならない。バブルなんかとっくの昔でどこも経営は苦しいけれども、みんなが商売にならないなら、悔やんでもしょうがない。

 ならば明るいうちから飲んじまえという自棄っぱちの高揚感をみんなが共有しているから、多分志緒里ママの店の本日の会計は、台風特価のロハだ。

 それがわかっているからみんな控えめに飲むし、志緒里の作る酒が多少薄くても文句は出ない。

 この界隈は、文字通りの持ちつ持たれつなのだった。同じ長屋の性風俗店は待合室が小さいから、多くの客はママの店を待合室代わりにしつつ1杯ひっかけて、勢いをつけてから風俗のほうに向かう。

 しかも実はママの店には「ノミ屋の窓口」という裏の顔があって、全国の中央競馬で重賞レースがある日は、一転して怪しげな盆中に。昼日中から競馬新聞と2色鉛筆をバサバサさせた常連ギャンブラーたちが訪れて、テレビの中継を前に1杯やりつつ、ちょっとした大騒ぎだ。

 一応体裁は「窓口」で、胴元は付近の飲食風俗のケツ持ちをする地場のヤクザだが、志緒里ママ自身もプチ胴元として自らの客を抱えていたりもするから、よほどの大勝でない限り、勝ったノミ客への支払いは即日ママを通じて行われる。

 ギャンブラーにとって、この即日決済のノミ屋というのは何よりのサービスというわけなのだが、当然博打に勝った客がお隣の風俗店へ行くことは見越したことで、ママの店には風俗店の割引チケットも完備と、万事抜かりない。

 駄目押しに、ノミ屋の窓口ということはそこそこのプール金がその場にあるということだが、風俗店の強面ボーイたちはこのプール金を狙う強盗に対するセキュリティスタッフも兼ねるし、風俗店のオーナー経由で警察のガサ入れ情報なども漏れなく入ってくる。この界隈だけで「水と風と盆(水商売と性風俗と賭博)」の見事な連係プレイが出来上がっているのだった。

「あんたら、国技館どうすんだが? 握んなら早くしないと締め切るよ」

 手早く焼うどんを作りながら言う志緒里ママに、

「ほんとママの店は何さ飲みに来てっかわかんねぇさね」

 と返すのは、志緒里ママから「導入したばかりの通信カラオケの新機種の設定」という強制無償労働を言い渡され、説明書片手に四苦八苦している潮だ。

 ここでいう国技館とは大相撲の秋場所のこと。握るは言わずもがなで、違法な相撲賭博にベットすること。やり手の志緒里ママは競馬のノミ仲介以外にも、プロ野球に甲子園にセンバツに、正月明けの高校サッカー、大相撲にJリーグ、果ては夏季冬季のオリンピック競技までなんでも場を立ててしまうものだから、これでは、「飲み」に来ているのか「ノミ」に来ているのかわからない。ただそれは、首都圏の工業衛星都市とギャンブルの街というふたつの顔を併せ持つこの伊田桐で、そして全国の同様な背景を持つ地方都市で、長年熟成されてきた裏の日常風景なのだ。

<第7回に続く>