あきらめも大事。無力であることを認めよう。人生は答えがない問題に挑み続けるようなもの/コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める②

暮らし

公開日:2020/8/2

新型コロナウイルスへの不安から、心身に不調をきたす「コロナうつ」が急増。つらいと感じたら一度立ち止まり、ぷかぷかと浮いたような気分でのんびりしてみては? 精神科医が教える心を鎮める思考方法をご紹介します。

コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める
『コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める – みんな不安。でも、それでいい –』(藤野智哉/ワニブックス)

あきらめも大事
自分の無力を自覚する

 あなたが心身に無理や限界を感じたときは、自分自身が無理な設定をしていないか見直してください。

 毎日しっかりと朝起きる。
 仕事に行く。
 朝と夜は自炊する。
 週に1回はトイレの掃除をする。

 今までだったらなんてことないことがつらいと感じるのならば、そのルーティンが今のあなたに見合ってないのです。

 これまでだったら、毎朝5キロ走って、会社には始業前に着いて、終業時間になったらすぐにフィットネスジムに向かい、汗を流したら、自宅近くのいいスーパーで有機野菜を買って、自宅に帰って自炊をする。

 これまでだったらなんとなくこなせていた日課も、今のあなたの負担になっているのかもしれません。目標自体が今のあなたにフィットしないのですから、柔軟にハードルを下げるといいでしょう。

 自分への負荷が高いと感じているということは、同じことを他人も感じているかもしれません。あなたが他人に求めるものを、相手は高過ぎると感じているのです。

 自分が他人に対して求めるものも、同時に低くする必要があるでしょう。

 締め切りギリギリに送ってくるメールを、今までだったら許せなかったあなたも、今のあなたなら笑って許せるはずです。

 コロナ騒動があって、不景気がやってきて、自分をとりまく環境が陰うつなことばかりで、何もかもうまくいかないことだって、もう笑ってしまうしかありませんよね。

 だって地球上の多くの人たちが同じように思っているんですから。

人間は無力である

 私たちはなぜこんな時代に生まれてしまったのでしょう? それは誰にもわかりません。

 私がなぜこの世に生を受けたのかもわかりませんが、きっと何か意味があるのでしょう。

 でも、その生きている意味は、世界を救ったり、洪水を止めたりして、歴史に名を残すことではないような気がしています。

 私は医師として日々を送っていますが、障害を抱えていることを、悩んだ時期もありました。ただ、ありきたりな言葉かもしれませんが、神様がこのハンデを与えたことにきっと意味があるのだろう、そう思えるようになることで運命を受け入れることができました。

 だけど、最近思うんです。実は意味なんてないんじゃないかって。

 ただ、神様は気まぐれで試練を与えた。くじ引きだったのかもしれません。でも、この世に生まれてしまったのなら仕方ない。

 私は障害を持っていることを前作で書いて以来、多くの人に、身に余るような称賛のメッセージや、お褒めの言葉をいただきました。

 そういう人たちは口々にこう言います。

「障害があるのに偉いですね」

 偉いかどうかはわかりませんが、私はそれを当たり前として生きてきたので、つらいと思ったことは実はあまりないんです。

 私は心臓に病を抱えています。それを壁と言うなら、私の目の前にはずっと壁があったのでしょう。

 でも、私はこの壁を乗り越えるべきかどうかをある時期から悩んだことがないんです。

 いくら頑張っても心臓の病は治りませんから。

 でも、壁に登れないと最初からあきらめると、次の方策が見つかったりするものなんです。

 壁があったらそれを乗り越えるとさらに成長できる。その思い込み自体を見直してもいいと思うのです。

役に立たない毎日の重要性

 あなたを苦しめているのはこれまでのあなたかもしれません。

 これをクリアしなくてはいけない理由はなんだ。クリアしたらどうなる。それで人生が劇的に変わるのか。価値のない人間になってしまうのか。

 もちろんそんなことはないでしょう。

 たとえば、みんな学生時代には何の疑問もなく答えのある数学の問題を説いてきました。約160年前に提唱されて以来答えが出ていないリーマン予想のように命題に立ち向かい続ける人は、いつも少し変わった人ととらえられます。

 私たちは、これまでの人生で答えがないクイズやテストに立ち向かったことはほとんどなかったと思います。

 しかし、人生は答えがない問題に挑み続けるようなものなのです。

 時にお手本のような人生があるかもしれませんが、まったく同じ軌跡をたどることはできません。

 数学だったら未解決の問題に挑む人は偉大な挑戦者であり、世間的には一見無為な挑戦を続ける変わり者と思われるかもしれません。

 私たちは、その一見役に立たないような日々を繰り返す必要があるのです。

無意味の中に意味を見出す

 私たちは無力であることを改めて認めていいと思うんです。

 精神科医は気分が沈んでいる方すべてを治療できる魔法使いのようにとらえられることがありますが、それは大きな誤解です。

 うつ病のような病気であれば治療ができますが、大事な人との死別による自然な悲嘆など薬ではどうしようもないものもあります。

 すべての悲しみを癒せる魔法なんてないんです(でも子猫は可愛いですね。気持ちが晴れる気がします)。

 私たちが無力を感じるのは、抽象的な現代アートの前でも同じです。

 幾何学的な模様や、意味のないように見えるモチーフが並ぶ絵画を見て、心をわかりやすく動かされる人はあまり多くはないでしょう。学生時代から美術が苦手だった私なんかがまさにそのタイプです。

 アートに関してはまったく明るくなく、不可解さしか感じなくても、自分なりの解釈をほどこし、満足感を得て心地よさを得ています。なぜなら絵画の解釈には正解がないからです。

 特に自分の意思で行ったのではなく、アートが好きな恋人に連れられて行った場合なんかは、必死に解釈をして理解をしようと思うはずです。なぜなら意中の人は絵を真剣に眺めている。だけど、自分にはこの絵の美醜もまったくわからない。

 だけど、何か心を動かすものがあるのはわかる。

 わかるというよりは、わかるような気がする。だからこの絵は、価値がある可能性がある。私はそう結論します。

 ここで大事なのは、絵画の解釈の正誤よりも、意中の人とうまくいくかだと思うのですが、いかがでしょう(笑)。

 絵画は私に無力さを教えてくれます。絵画の前で私は語る言葉も正解も知らないからです。

 同じように、人生は私に無力さを教えてくれます。人生の前で、私は語る言葉も正解も知らないからです。

 自分の人生さえ自分の言葉で語ることができない私たちは、皆、無力なのです。

<第3回に続く>