20年で400勝! 160キロのストレートとカーブを武器に長嶋、王をも翻弄した名投手【金田正一】/名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -①

スポーツ・科学

公開日:2020/9/19

引退後も積極的に現場に赴き、プロ野球の最前線を見てきた江夏豊。数々の逸話を残した彼が選ぶ最高の投手たちとは? 歴史に残る大投手から、令和のプロ野球界をけん引する現役投手まで、記憶に残る名投手をご紹介します。

名投手 - 江夏が選ぶ伝説の21人 -
『名投手 – 江夏が選ぶ伝説の21人 -』(江夏豊/ワニブックス)

金田正一

 私・江夏豊がプロ入りしたのは1967年(昭和42年)。「戦力均衡」と「契約金高騰防止」の目的で、「ドラフト制度」が球界に導入されての2年目だ。

 金田正一さんは65年に『10年選手制度』──いわゆる現在のFA制度を利用して、国鉄から巨人に移籍していた。(編集部注:10年選手制度=47年~75年まで10年選手は「自由移籍」「ボーナス受給」「引退試合主催」などを選べる制度があった)

 しかし、全盛期を過ぎた32歳以降の巨人では苦労したのではないか。なぜなら、あの投球フォームは「左膝に余裕がある」から、打者は見やすいタイミングになる。

 それと、私がどんなに考えても解答が見つからないのだが、「コントロールのいい投手の条件」の1つに、「上げたほうの足のつま先が下を向いている」がある。

 逆に「つま先が上を向いている」投手はコントロールがよくない。たとえば、村田兆治君(ロッテ)しかり野茂英雄君(近鉄ほか)しかり、そして失礼ながら金田さんだ。

 65年は「シーズン11勝、141投球回、100奪三振」と、国鉄最後の64年から勝ち星をはじめ成績の数字は半減したものの、「最優秀防御率」のタイトルを獲得。

 川上哲治監督が「金田の練習や食生活に対するストイックな姿勢をナインに見せるだけでも価値がある」と称えたように、巨人はこの年からV9をスタートさせた。金田さんは、巨人在籍5年間で4度の開幕投手を務めた。

 当時の先発ローテーションは順番的に、巨人は堀内恒夫さん、高橋一三さん、金田さん。阪神は1番手が村山実さん、2番手が私。直接対決はあまりなかったが、184センチの上背を生かした「上から落ちてくるカーブ」を私は打者として打ちたくて(笑)、あのカーブばかり狙っていた。

 

 国鉄時代は入団2年目から14年連続「シーズン20勝・300投球回、200奪三振」をマーク。本人いわく「180キロ出ていた」と豪語したストレートと縦に大きく割れるカーブが武器の、力任せの投球だったらしい。

 それでも通算勝利数2位・3位の米田哲也さん(阪急)と小山正明さん(阪神ほか)が「160キロは出ていた」と口をそろえるのだから、それに近いスピードで打者を圧倒していたのだろう。

 国鉄時代の通算353勝中114勝がリリーフ登板で「他人の勝利を奪った」と言う口さがない人もいるが、当時の国鉄は万年Bクラス(在籍15年間で14度)。

 国鉄時代の金田さんは実に344完投しているし、2度のノーヒットノーラン(1試合は完全試合)はいずれも1対0の勝利だ。「0対1」の完投敗戦も21試合ある。

「好投手が好打者を育てる」──長嶋茂雄さん(巨人)が59年開幕戦で4打席連続三振したのは有名だが、翌60年の開幕戦でも王貞治さん(巨人)が2打数2三振。通算400勝を20年の現役生活で達成。単純計算で毎年20勝だ。日本の2倍の歴史のメジャー・リーグの記録と比較しても金田さんの成績は秀でている。

 通算勝利400勝はサイ・ヤング511勝(レッドソックスほか~ 11 年)、ウォルター・ジョンソン417勝(セネタース~27年)に次ぐ日米3番目。

 通算奪三振4490は、ノーラン・ライアン5714奪三振(レンジャーズほか~93年)、ランディ・ジョンソン4875奪三振(ジャイアンツほか~09年)、ロジャー・クレメンス4672奪三振(ヤンキースほか~07年)に次ぐ日米4番目。

 紛れもなく日本が生んだ名投手である。

<第2回に続く>