何も心配することはない! 私には“変わり者”のあやかしがついてくれている/わが家は幽世の貸本屋さん⑥

文芸・カルチャー

公開日:2021/4/1

 現世とは別にある、あやかしがはびこるもう1つの世界「幽世(かくりよ)」。そこに幼い頃に迷い込んでしまった夏織は、幽世で貸本屋を営む変わり者のあやかし・東雲に拾われ、人間の身でありながらあやかし達と暮らしている。そんな夏織は、ある日、行き倒れていた少年・水明と出会う。現世で祓い屋を生業としているという彼の目的は「あやかし捜し」。あやかしに仇なす存在とはいえ、困っている人を放っておけない夏織は、ある事情で力を失ってしまった彼に手を貸すことにするのだが――。切なくも優しい愛情にまつわる物語。

わが家は幽世の貸本屋さん あやかしの娘と祓い屋の少年
『わが家は幽世の貸本屋さん あやかしの娘と祓い屋の少年』(忍丸/マイクロマガジン社)

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――それは昨日の夜のこと。

 降り始めた雨が止む気配はなく、水分を含んで重くなっていく服や、肌着が肌に張り付く感覚が不愉快極まりない。

 けれど、今はそれどころではなかった。

 私は絶望の表情を浮かべると、雨の中、ひとり立ち尽くしている養父の顔を見つめた。

「東雲さん、とうとう殺っちゃったのね……」
「殺ってない。断じて殺ってないぞ」
「東雲ならやりかねないわよね」
「黙ってろ、にゃあ!」
「自首する?」
「だから、違う。そもそもどこに自首するんだ。現し世じゃねえんだぞ、警察なんぞいるか、阿呆。……あああああ……だから来るなって言ったんだ」

 東雲さんは顔を手で覆うと、天を仰いだ。

――まあ、冗談はここまでにするとして。

 私は地面ににゃあさんを下ろすと、少年――水明の傍らにしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。白い睫毛で縁取られた瞳は固く閉じられていて、すぐには意識を取り戻しそうにない。額から出血しているようで、雨で流れた血が地面に赤い染みを作っている。

「……生きてはいるの?」

「ああ。意識を失っているだけのようだ。血の量のわりに傷は深くない」

 雨が降っても、しぶとく居座っている幻光蝶(げんこうちょう)の光が、水明の顔を照らし出している。そっと指で彼の頬に触れる。雨で濡れたせいか、かなり冷えてしまっているようだ。このまま放っておけば、体調を崩してしまうだろう。出血もあることだし、命に関わるかもしれない。すぐにでも屋内に移動させるべきだ。

 それに、幻光蝶の様子を見るに、彼は「人間」のようだし。

「……このまま放っておいたら、誰かに食べられちゃう。放っておけないよね」

 幽世の町が、幻光蝶の大量出現のせいでざわついている気がする。きっと、すぐにでもたくさんのあやかしたちが集まってくることだろう。彼らにとって、意識のない人間なんてごちそう以外の何ものでもない。

「……」
「夏織?」

 なぜかわからないけれど、体が小刻みに震えだす。

 幽世に迷い込んだ当時のことは覚えていないはずなのに、彼の末路を想像するだけで、まるで自分のことのように絶望感に襲われる。すると、東雲さんがそっと私の肩を抱いてくれた。養父の大きな手。その手の温かさが伝わってくると、ただそれだけで随分と気持ちが楽になった。私には「変わり者」のあやかしがついていてくれている。何も心配することはない。

「夏織、どうする? これ、現し世まで連れて帰る?」

 すると、にゃあさんがそんなことを言い出した。

 確かに、救急車にさえ乗せてしまえば、搬送先の病院で家族に連絡を取ってくれるだろう。私自身は、救急車が来たら戻ってくればいい。なかなか名案じゃないだろうか。そう思って、東雲さんに相談しようとした時、急に誰かに腕を掴まれた。

「あ……」

 それは、今まで気を失っていたはずの水明だった。

「……おいていかないで……そばに……」

 熱が出ているのだろうか。うっすらと頬が染まっている。薄茶色の瞳は私を見ているようで見ていない。水明は弱々しい声でそう言うと、また目を瞑ってしまった。

 それはまるで、熱に浮かされた子どものよう。

 母親を求めるような……そんな幼さがあった。

――うっ。

「あーあ。こりゃあ駄目だな」

 すると、東雲さんは首を何度か回すと、おもむろに水明を肩に担いだ。

「……東雲さん!?」

 驚いて養父に声をかける。すると、彼はやれやれと肩をすくめた。

「お前、昔っから小せぇあやかしだの、弱った動物だの、見捨てられない性分だったもんなあ。今回も駄目だな。あー。ちくしょうめ」

 そう言って振り向いた東雲さんは、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「そういう風に育てた親が悪い。保護者が責任取らねえとなあ」

 大通りを、水明を担いだままゆっくりと歩き始める。どうやら、我が家で看病をしてもいいらしい。ともすればにやけそうになる顔を必死に抑えながら、小走りで追いつく。

「ありがとう、東雲さん」

「別に構いやしねえよ。あ、でもそんかわり明日の晩飯は肉にしろよ。肉! それも、血が滴る極厚の肉がいい!」

「うちにそんな余裕はないんだけど!?」

 冗談でしょうと思わず足を止める。けれども、東雲さんは本気らしい。

 陽気な笑い声を上げて、のしのしと歩いて行ってしまった。

「もう! まったく……」

 私は怒ったふりをしながらも、頬が緩むのを抑えきれなかった。

……ああ、やっぱり東雲さんは最高だ。

 私は顔を上げると、頼もしい養父の背中を追ったのだった。

<つづきは書籍でお楽しみください>