うつ回復期の私にとって最大の難関… それは、毎日のあの作業/料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。⑦

食・料理

公開日:2021/5/25

料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』から厳選して全8回連載でお届けします。今回は第7回です。36歳のときにうつ病を患い、料理だけができなくなってしまった食文化ジャーナリストの著者。家庭料理とは何か、食べるとは何かを見つめなおした体験的ノンフィクションです。

「料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。」を最初から読む


料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(阿古真理/幻冬舎)

「献立を考える」はなぜハードルが高いのか

 台所を任されている人にとって最大の悩みは、献立づくりではないだろうか。環境にもよるが、それは毎日のことで何年も何十年も続くのである。誰も交代要員がいない、旅行もめったにしないとなれば、それは休日ゼロの過酷な労働となり得る。2020年のコロナ禍による緊急事態宣言下、朝昼晩と家族がそろって食事するため、レパートリーが足りずにテイクアウトや冷凍食品に頼った人も多いのではないか。

 ふだん、献立のネタに困るとき、皆さんはどう対応しているだろうか。インターネットでレシピを検索する。ストックしてあるレシピ本をめくる。ヒマそうにしている子どもたちに「今日は何を食べたい?」と聞いてみる。スーパーへ行って店頭で決める。誰かとおしゃべりしながら相談する。勤めている人なら、同僚に聞くこともあるだろう。

 献立づくりは、食べたいものを考えればいいだけでないところに、難しさの要因がある。何しろ、生活というのは昨日もあって明日も続く。つまり、まっさらな状態で、後先考えずに決められるわけではないから難しいのだ。

 まず台所に残っている食材、という「しがらみ」が料理人の足を引っ張る。使いかけの大根、キャベツ、ニンジン、肉といった食材を、傷まないうちに使ってしまわなければならない。

 また、「今日は魚を焼こう」と思ってスーパーへ行ったら、ピンとくる魚がない日もある。いつも置いてあるキャベツが、やけに高い時期もある。使いたかったパクチーが置いていないときもある。こちらも店頭にあり、予算に収まる範囲で買える食材を選ぶことになる。欲しい食材がないと、献立を立て直す必要に迫られてしまい、店内でウロウロしながら悩む場合もある。

 その日の天候も、考慮が必要な要素だ。急に寒くなった日は、鍋ものや汁ものなど、体が温まる料理にしたくなる。急に暑くなったら、サラダや冷ややっこなどがいいかもしれない。あまりに天候の条件が悪くて買いものに出かけるのがイヤになり、ありあわせの材料を工夫しようと判断する日もある。

 自分や家族の体調も、献立を決める重要な要因である。体調を崩している人がいるとき、ストレスが溜まってやる気がないとき、逆にストレスフルだからこそおいしいものを食べて奮起したいとき、落ち込んでいる人がいるとき。食事に制限がある幼児や高齢者、病人がいる家庭では、その人に合わせた配慮も必要である。

 うつ回復期の私は、どうしていただろうか。このように複合的な要因を考慮しなければならない献立づくりは、とても大変なことだった。何しろ欲望が少ないのである。好奇心もあまりないし、刺激を得る機会も限られている。

 これを書いている今はかなり状態がよく、好奇心も旺盛だ。経験を積んだこともあり、献立に悩むことがほとんどない。比較するとあの頃の大変さがよく見えると思うので、しばらく最近のことを書いてみたい。

 

 コロナ禍で少し事情が変わったが、近年は食の仕事を中心にしていることもあり、料理に関心が高い仲間がたくさんいる。彼女たちと会話していて、食べたいものが浮かぶことがある。外食の機会も多いので、おいしかった料理を思い出しながら似せてつくってみることもある。食がテーマのテレビ番組もたくさん録画しているので、それも結果的に大量のヒントのストックになっている。

 そして経験を積んで肩の力が抜けたのか、ふだんは定番のかんたんな料理でいいと思っていることが、悩まない最大の要因だ。夫があまり料理にうるさくなく、「何でも食べるよ」と言ってくれることも助かっている。

 味噌汁と魚と菜っ葉の炒めものの献立、野菜いろいろの煮込みやスープと肉と菜っ葉の炒めもので済ませる献立、といった似たパターンが多い。そして、汁ものは翌日にも残す。

 一方、イギリスの料理番組で観たから、と肉の塊をオーブンで焼いてみる日もある。おいしい在来種のゴボウが手に入ったから、素揚げしていい塩を振りたくなる日もある。

 定番にときどき楽しい料理が加わる今と比べ、あの頃は食の分野を専門にし始めたばかりで、経験が少なかった。テレビ番組もストックしていない。食の分野の仲間もいなかった。お金がなかったから、珍しい食材を買うこともない。そもそも、そういう食材を売っている場所を知らず興味もなかった。

 しかもあの頃は、料理はできるだけ多くの種類の食材を使い、できるだけ毎日違うものを食卓にのせるべきだ、という先入観に囚われていた。ところが現実は、何をつくったらいいのか、何を食べたいのかすら、思い浮かばない。そして「正しい」ことができないから苦しい。

 ダメダメ尽くしで発想など浮かぶわけがない。あの頃一番よくなかったのは、仕事がないことと重なって、ただでさえへっている欲望を抑え込むのに必死だったことだ。それは、「がまんしなさい」としつけられて育ったことも影響している。今でもそういう面は残っているが、うつのせいでネガティブになりやすかったあの頃の私は、特に自罰的だった。うつはもともと欲望が少なくなる病気なのだが、しんどい時期が長く続いたのは、「がまんしなきゃ」、と自分をギューッと抑え込んでしまったためかもしれない。

 欲望は過ぎると身を滅ぼす要因となるが、そうでない場合は生きる原動力になる。人間を動かすのは、義務より欲望である。「あれをしなければいけない」より「あれがしたい」のほうが、実行への大きな力となる。でも、お金がかかる欲望を極力抑えていた私は、より安い食材だけを求めていた。買いたいものより、買えるものを選ぶ。そうなると使える食材も限られ、ますます思いつく料理が少なくなる。

 インターネットで料理を検索するのも面倒だし、レシピ本はほとんど持っていないし、ひたすら店頭と自分の頭の中だけを探る。情報の種類も量も限られている中で、何を食べたいか思い浮かべないでつくれる料理なんて、本当に少ない。そりゃ、献立に悩むわけだ。何も思い浮かべないで困ってばかりだった私が、ではどうやってあの時期を切り抜けたのか。それは次節の話題にする。

<第8回に続く>